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柳谷村誌

一 住居

 屋敷取り 

 村に住みついた人たちは、住居を構えるについて、先ず水、働き場、安全を考えて屋敷取りをしている。古い家は、どこの家も谷川の湧水が利用できる場所を選んでいる。家の庭をカドと呼び、カドのまわりにはカザガキなどの木が植えられているところがある。我が村では平地が少ないため、屋敷が細長くて奥行きが浅く、随って平屋が多い。藩政時代は、掘立小屋が多く、土間の上に直接板を敷きその上にわらやむしろを敷いて生活していたようである。明治の時代になって、農家でも、石口や土台を使った家が大工によって建築されるようになった。

 ドウヅキ 

 家を建築する場合まず地鎮祭を行い、次に地搗きを行う。これをドウヅキと呼んでいる。ドウヅキは、柱や、土台の下へ入れる石口の箇所を搗いて固めるのである。ドウヅキの方法はいろいろだが、やぐらを組むもの、松の木の丸太の大きい部分を短く切って、これにたくさんの引き綱をつけて、多勢が輪になってひっぱり上げながら搗くこんな方法もあった。二番茶には、ドウヅキ祝いの酒もでて、にぎやかにドウヅキ歌に合わせて威勢よく地固めをした。こんな風景も、昭和の初めころまでで、家の基礎がコンクリートになってからあまり見ることができなくなった。

 チヨウナハジメ 

 大工仕事を始めるのを、チヨウナハジメ(手斧始め)といって、当家が大工とともに祝った。

 棟上祝い 

 家建てを建前という。建前の日は、柱の組立てを完了して、棟桁をかけ、棟上祭りを行う。幣を切り、お神酒などの供物をして神を祭る。ささのついた長い竹を立て、長い布、カモジ、髪道具、センスなど、また松、桧などで作った弓矢を北の方角に向けてつける。棟梁が、さしがね・すみつぼ・尺杖を供えて神を拝む。次に餅まきをする。すみ餅といって家の四すみにまいた。また銭を一緒にまくこともあった。その後、多勢の手伝いの人たちで祝宴が行われた。家が完成すると、家移りをして新築祝いをする。家固めの祝いとも言われた。
 我が村における住家も、明治の時代に建てられたものは、次第に建てかえられ、またたびたび改築されて、昔のままの黒くすすけた古い家は、あまり見ることができなくなった。