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柳谷村誌

五 壮年会活動

 壮年会の結成 

 上浮穴郡でもっとも早い壮年会の結成は久万町で、四九年一二月一五日に結成されている。その後の組織の整備と充実によって、年次活動が活発化してきた。それに刺激されて、わが村でも若者の減少と高齢化社会を迎えている現状から、地域の中核である壮年層の眠りを覚まし、時代認識への自覚と活力を与え、全村体制での村づくりに対処する必要性から、社会教育行政として、昭和五四年度に結成の準備をすすめ、「対象者名簿」と「柳谷村壮年会結成趣意書」を作成してはたらきかけてきた。

   柳谷村壮年会結成趣意書

  わが柳谷村は急傾斜地帯であり、高冷地でもあります。このきびし
 い自然条件のために、新しい産業開発や生産性の向上に、「あきらめ」
 が先行しがちであります。
  しかしながら、傾斜地は道路の開発によって平坦化が可能であり、
 高冷地はそれなりの条件を生かす知恵を生み出せば、新しい方策もあ
 りそうに思えます。
  人的条件の面では、若者が少なく、老年人口は二二・三%の比率で
 県下第二位の高齢化社会を形成しております。都会には活力があり、
 田舎にはゆとりがあるといわれますが、若者の少ない村にはゆとりは
 あっても、活力に乏しく、将来に不安が感じられます。
  今こそ、その流れをかえることによって、村に活力をよみがえらせ、
 より高い生産性を求め、文化にうるおう地域社会づくりを推進すべき
 時と思われます。それを成し遂げる期待は、地域づくりの中核として、
 担い手であり、推進力でもある壮年層に負うところが極めて大きいの
 であります。壮年の一人一人が勇気をふるい起して、地域開発に参加
 し、英知を出し合い知恵を結集すれば、必ずや地域に村に、明るい未
 来が開かれるものと期待されます。
  ここに、壮年の各位に「柳谷村壮年会」の結成を呼びかけ、積極的
 に加盟をお願いするものであります。
     昭和五四年一二月五日
                    発起人 丸 山 一 孝
                        村 上   勲
                        中 村 忠 幸
                        正 岡 秀 雄
                        羽 澤   隆
                        長 谷 恵 男
                        阿 部 武 男
                          (順不同)
   柳谷村壮年会実践綱領

  われわれ壮年会員は、連帯意識を高め、友愛と英知と勇気をもって、
 生産と生活文化の向上をめざして、豊かで明るい村をつくるために、
 次のことを実践します。
 一 壮年会員は、すすんで学習活動に参加し、生活文化の向上につと
  めます。
 一 壮年会員は、ふるさとを愛し、生産の向上に努めます。
 一 壮年会員は、親睦をはかり、健やかな心身をつくることにつとめ
  ます。
  
 これらの趣意書を添えて同年一二月一〇日、近澤村長、森教育長名で、〝柳谷村壮年会結成について〟嘱託員宛に依頼文書を発している。

  (前略)今日の変動する社会は、情報化社会とも学習社会とも呼ば
 れており、社会の変化に対応する知識、技能を身につける必要に迫ら
 れ、生涯にわたる各時期の充突した生き方を思考するための生涯教育
 が言われております。
  柳谷村では、幼児期から老年期までの各階層にわたる学習を計画的
 にすすめておりますが、その尖兵は青年団、婦人会、老友会等であり、
 地域社会の中核である壮年層が未組織であります。
  これからの明るく豊かで住みよい地域社会づくり、村づくりには、
 壮年層の英知と実践力に負うところが大きなものがあります。
  世話人によって、「柳谷村壮年会」の結成が準備されつつあります
 ことは、大変喜ばしいことであり、村としても、これが結成に期待を
 いたしておりますので、貴職におかれましても、壮年会加入への呼び
 かけについて、格別のご尽力を賜わりますよう、お願い申し上げます。
 別紙対象者名簿を添付いたしますので、昭和五五年一月一八日までに
 加入者をおとりまとめ教育委員会まで提出して下さい。
 これらの動きから察して、当時の切実さがうかがえるのである。

 このような経過をたどって、柳谷村壮年会は、五五年三月二〇日西谷分会、同年三月二一日柳井川分会、同年三月二二日中津分会が次々に結成され、同年四月一八日村壮年会が結成された。西谷分会長藤岡角雄、柳井川分会長藤坂義雄、中津分会長梅木輝夫、村会長に藤岡角雄らが就任した。その後、教育委員会は、壮年会活動の手引きとして「柳谷村壮年会活動指針」を示している。

 壮年会の活動 

 それからの活動の主なものとして、西谷分会では五五年一一月二○日西谷公民館で、「地域問題について」青壮年の懇談会を開催して、地域の現状や将来の課題について話し合い学習をしており、同年一二月七日には、午前七時に西谷をマイクロバスで出発し、高知県土佐郡本川村に、ワサビ栽培とやがて村にも開発が計画されつつある揚水発電所の工事の様子などを視察して、現地研修をしている。
 さらに五七年二月一三日、名荷下集会所で西谷分会、西谷公民館産業部の主催による「地域林業研修集会」が開かれ、〝柳谷林業の概要と村林業振興〟〝間伐の必要性〟〝間伐促進総合対策事業並びに県林業施策〟。
〝間伐団地の設定〟〝間伐材について〟〝今後の林研活動〟などについての研修が行われている。
 柳井川分会では、五六年二月二八日久万町父二峰の西岡林業、久万高原特産品加工組合をマイクロバスで訪れ、林業視察と現地研修が行われた。
 変った動きとして、五七年三月二八日中津壮年会が、中津公民館との共催で、「壮年演芸会」を催して、会場いっぱいの観衆を沸かせ、大いに笑わせ、たのしませている。発表当日までの練習過程で、仲間意識によるまとまりが見られるようになった。
 村壮年会が結成された年から、久万町のはたらきで県組織結成の動きが起こり、五五年一一月六日松山教育事務所で、愛媛県壮年会連絡協議会結成準備会、翌年一月一三日県教育センターで第二回準備会、さらに同年三月三〇日県教育センターで第三回準備会の経過を経て、いよいよ五六年四月二五日、松山市小栗町の雄郡公民館で「愛媛県壮年会連絡協議会結成記念大会」が開かれた。
 当日は来賓に大森県社会教育課長、高岡生涯教育係長、河野久万町長、佐伯魚島村長などが出席、久万町、宇和町、伊方町、五十崎町、柳谷村、魚島村などの参加によって結成された。この時、今治明徳短大教授曽我
静雄が記念講演をしている。
 その後〝県壮連〟の動きも年々活発になってきて、交流研修会が持たれるようになり、五八年には八月二七・二八日にわたり久万町を会場に第一回愛媛県壮年会ソフトボール大会が開催されることになり、二七日は前夜祭として、ふるさと家族村に集まり、交歓会で情報交換、カラオケなどでたのしい雰囲気のうちに一夜をすごし、翌二八日は久万運動公園グラウンドのソフトボール大会に柳谷チームも参加して準優勝をしている。
 村壮年会では、五七年三月七日、久万林業研修視察並びに育林技術講習会を久万町で催し、〝優良大径木生産を日標とした除間伐施業〟〝間伐木の伐採搬出方法〟(作業道・林内作業路・林内作業車)〝特産品・加工施設〟(久万高原特産物加工組合)の視察後、「育林技術について」の講習会をしている。
 さらに五七年一〇月三一日から翌一一月一日にかけて、徳島方面の木頭林業、一宇村のワサビ栽培、山城町のゼンマイ栽培などを視察して帰り、産業課のテコ入れもあって、ゼンマイの栽培を試みる者も生じてきた。
 五八年六月二三日中央公民館で、「経営者懇談会」を商工会と共催で開催。〝経営者における雇用関係の実態と今後の問題点〟〝商工会、行政、社会教育団体への要望事項〟などを柱に話し合いを行ったあと、拓明建設社長永井勝の〝経済のゆくえ〟と題する講演を聞いている。
 このような学習活動の歩みとともに、壮年層の健康づくりをねらいとした、第一回柳谷村壮年会ソフトボール大会が、五七年七月二七・二八日柳谷中学校グラウンドでナイターで行われた。この大会では、今までの村の公式選に出場している者はオミッ卜し、グローブやボールをはじめて手にする者の参加を呼びかけ、一〇名で試合をする変則ルールを適用したので、珍プレーが続出して会場を沸かせ、三分会の親睦と交流がはかられた。来年も是非の声で引継がれ、五八年七月二九・三〇日第二回も開催されて大会目的を達した。
 これらの活動によって、壮年会のまとまりや会の動きも徐々に発展充実しようとしている。五八年八月二二日面河村における第三〇回上浮穴郡社会教育研究大会の分科会で、「地域づくりと壮年のかかわり」が討議され、壮年会未組織の小田町、美川村、面河村などから組織化の必要性が論じられ、久万町と共にわが村は、本郡は勿論県下的にも先導的役割を担っているのである。