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柳谷村誌

二 国防婦人会

 明治の末期に愛国婦人会が結成されていたようであるが、昭和一二年に国防婦人会に統一された。家庭をもつ主婦はすべて会員となり、軍部や官庁の監督のもとに活動した。
 服装は白エプロンに白地に黒で「日本国防婦人会○○支部」と書いたたすきかけのものであった。日の丸の小旗を振って出征兵士の見送り、英霊の出迎え、慰問袋の発送、千人針の手伝いなど忙しく活躍した。戦局が苛烈になると、モンペ・防空頭巾に身をつつみ、「ほしがりません勝つまでは」の合ことばで、救急袋(三角布・薬品類など)を背に、防火、防空訓練、本土決戦を目前にしてからは竹槍訓練にまで発展し、軍人遺族援護や勤労奉仕など、日夜を分たぬめまぐるしさで戦争完遂に協力した。昭和二〇年の終戦と共に資料も焼却され、進駐軍の指令によって解散消滅した。