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柳谷村誌

三 定時制高等学校

 昭和二二年、六・三・三制の発足に伴い新制高等学校が開校することになった。新制高等学校の一つの特徴は、定時制課程と通信教育をおいたことであった。学校教育法四四条に「高等学校には、通常課程の外、夜間において授業を行う課程又は特別の時間及び期間において授業を行う課程を置くことができる」と規定し、「通常の課程をおかず又は前項の課程の一のみを置くことができる」と定められている。この規定によって新制高等学校には、通常の課程のほか夜間課程及び定時制の課程が設けられた。
 愛媛県では、昭和二三年九月二一日に「愛媛県高等学校定時制課程設置規程」を定め同年八月一日から適用することになった。これによって同年定時制を設置した高等学校は、併設校三一校、独立校一一校、分校三四校計七六校となっている。
 本郡においては、上浮穴高等学校に、その分校として面河・仕七川・直瀬・御三戸・落出に、また、小田高等学校の中に定時制課程がそれぞれ設置された。
 本村においては、昭和二三年九月に愛媛県立上浮穴高等学校落出分校の設置が認可になり、以来一〇年間、昭和三三年三月三一日閉校するまで、中津柳谷地区の高校教育普及のために貢献している。

    上浮穴高等学校落出分校沿革の大要

・昭和二三年九月  愛媛県立上浮穴高等学校落出分校設置認可になる。
・昭和二三年一〇月一五日 柳井川中学校仮教室において開校式及び入
            学式を行う。(入学者九六名)
・昭和二五年四月一六日 中津村議会において、落出分校校舎建築及び
           これに伴う予算が可決される。
   〃   五月九日 柳谷村議会において、建築予算が可決される。
   〃  五月一六日 校舎建築入札、二教室、工費二二万円落出大
           野ヶ原国営牧野事務所跡を改修してこれに当て
           る。
   〃  七月一六日 学校建築完成、二四日柳井川中学校仮教室よ
           り移転する。
・昭和二九年九月一三日 一二日午後から強くなった台風のため、一三
           日午前七時すぎ校舎屋根が飛散しはじめ、午後
           になり屋根の大部分が飛散する。
      九月二七日 本日より屋根修理の杉皮運搬作業を行う。
      一〇月一日 夜間部は生徒減少のため閉校
      一〇月九日 屋根修理完成
・昭和三一年七月二五日 中心校スクーリング開始(四泊五日)参加者
           七名
・昭和三三年三月一四日 廃校式を行う。
・昭和三三年三月三一日 家屋・校舎の引渡しを行う。

上浮穴高等学校落出分校の生徒数のうつりかわり

上浮穴高等学校落出分校の生徒数のうつりかわり