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柳谷村誌

第一章 柳谷の地肌とのかけ橋

 およそ四〇〇〇万年ぐらい前から、一〇〇〇万年ぐらい前までの間といわれる。今日のわが村の自然がほぼ出来あがるまで、たえまなくつづけられた浸蝕作用(水蝕・風化)によって、村の自然はみごとな彫刻品となった。地肌のひかり、水のながれ、色の配合、それらで織り出された布地。その地肌にさまざまないのちたちが、互いに微笑みあってきた。我々柳谷びとは、その中の秀でたいのちとして、秩序味を帯びた活動をつづけてきた。それが今日の産経通運活動のかけ橋である。
 村の地肌と、我々柳谷びととのかかわりは、住みつくことにはじまった。そして、頭を使い、手足の筋力によって、村の地肌の改良と向上を進めてきた。活動の相手方は、はじめは「つち」にはじまり、つづいて「みず」にのび、さらに「ひかりのすじみち」へとすすむ。これらの要素は、いろいろにくみ合わされ、具体的な活動へと個々の姿を現わしてくる。そして、それらの活動の手がかりを果たしてきたのが、「ぜにのながれ」であった。複雑多様な活動展開を、「つち」「みず」「ひかり」「ぜに」の四つの要素によって眺める。