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柳谷村誌

第一節 新しい生活様式への転換

 植物栽培の発明

 自然が与えてくれるものを、採収したり捕獲したりして、自分たちの生活を充たす生活様式にも限りがある。行き詰りがくる。与えられる物は減ってゆき、欲しがる者は殖えるからである。需要は増大し、供給は減少する。生活様式切替への機は熟し、転換の必要は迫ってくる。人々にとって、一大天才の出現の期待は大きく膨らんでくるのである。熟した期待の実がはじけた。一大天才が植物栽培の可能性を発明した。植物自身のいとなみを絶えず注視していたことが、この発明の機となったのであろう。いずれにしろ、発明はすばらしい。この発明、人類にとって、火・道具・社会・言葉などの発明と肩を並べ、勝るとも劣らないものと言えよう。
 やがて人類は、この植物栽培の発明を鍵として、動物の飼育・養殖へとその進みを跳躍させる。文化化の技術面の進みの足どりには、ある確かさを偲ばせるものを感ずる。

 農耕生活のあけほの

 人手による植物栽培によって、人類の生活様式には、農耕生活の曙が訪れる。約数千年前の大事件であった。人類が、「人らしくなるための生物としてのちから」を具え持ったのは、凡そ一〇〇万年前といわれる。今農耕生活の夜明けを迎えた。計り知れない試みと失敗の積み重ねの一〇〇万年の足どりである。

 選地―定住―村の夜明け

 人々の生活は一変する。今迄の地表とのかかわり合い。それは地表から利得を奮うだけの態度であった。それが今、大地との「やりとり」のかかわり合いに一変する。人々はまず、大地に自分たちからエネルギーを提供する。そして大地から、その報いを受けとる。心の通い合い、結び合いが芽を吹くのである。更にまた、その土地を所有するという結ばれができ、親近の度合いは濃くなってゆく。やがて人々の生活様式は、今までの身内だけの生存から、横の繋がりへ新らしい連帯の蔓が伸びていった。ほかの身内との群れ合い(それは共同防衛のため)社会つくりがひろがる。「人から人間へ」最も基礎としての図式(村社会)が樹立されることになったのである。