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柳谷村誌

第一章 村の歴史への試み

 我々柳谷の人々は、いつ、どこから、どうして来たのだろうか。そして今、我々はどこに、どうしているのか。やがて我々の後代は、どこへどう歩みつづけるべきなのか。この一筋の旅の道筋を、なんとか確かめてみたい。それが我々村民の、村の歴史への志向である。
 我々の旅の道筋を支えてきて、今支えてくれており、そしていつまでも支えてくれるであろうわが村の大自然。わが柳谷のすべてのいのちを支える慈母として、その素性、その姿、そのはたらき、まことに優雅で、悠久で、壮美である。わが旅の足跡を知りつくし、旅の行先を見通しつくして、悠々然として我々との喚び合いを深め、自らのいのちの深さをあらわに見せつづけてゆく。
 いつの日だったのか。我々の先祖がこの自然に呼び込みの第一歩を踏み入れたのは。書かれざるくらしの跡を尋ねることのむつかしさは、今更かこつこともないことではある。けれどもこの村の天地に生を托したその時から、我々の先祖は、試みてはつまづき、つまづいては更に試み、繰り返し積み重ね、自分たちのならわしが形造られるまで、伝統らしく蓄えられるまで、ねがい(願望)、こころみ(学習)、そしてすすむ(進化)のひたむきな道筋を歩いてきたのではないだろうか。はたらきのないもの(無機物)の世界から抜け出し、はたらきをもつもの(有機物)との世界で、共存を楽しみ合ってきたが、やがてそのものたちとの距離が大きくなって、「文化の世界」という新しい世界へ、目ざましい跳躍を果したのではなかろうか。「文化化してゆく世界」は、我々人間だけがもつ世界となった。今明らめたいとする村民の歴史には、柳谷人の文化化の事々が、尋ねられ盛らるべきだと考える。
 「すべてのものは過ぎ去る。」は、どうしても避けられない事実である。だからそのままにしておくならば、すべては無意義のまま永遠に消え去ってゆく。「消え去るものを引き留めたい。」これは人間が抱く野望かもしれない。「歴史」は、人間の切望の創造物として、人間社会に一つの地位を実らせている。さらに人間は、その創造物を育てる工夫として、我々が定めた「時間」の尺度で、その区分分類を試みる。だからその時代区分と名づけられるものは、どう理由づけしても、無理と身勝手のそしりはまぬかれないであろう。我々柳谷人はこの大自然に無数の足跡をつけてきた。わが村の姿は一面、我々がつけた複雑な跡方の積重ねであるとも言えよう。いまその跡形を振り分けて区分わけしようとする。こじつけと矛盾はあるだろう。柳谷人は文化化してゆく生きたくらしの社会に生き抜いてきた。そして今日のくらしの事々は、ひとりひとりのねがいーこころみーすすみの道筋を経て、蓄えられた伝統の香りにつつまれている。村民はこの生き生きしている流れを、村の歴史の気風としてとらえようとする。