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柳谷村誌

第一節 盤体が刻まれて彫りもののすがたになる

 わが柳谷の地塊は、最東端が東径一三三度○分、最西端が東径一三二度五三分五六秒、最南端が北緯三二度二七分三七秒、最北端北絲三三度三四分二六秒の区域内に位置している。四国の島のほぼ中央部で高知県と境を接し、二県(愛媛・高知)、四郡(上浮穴・東宇和・高岡・吾川)、七か町村(美川村・小田町・野村町・祷原町・東津野村・仁淀村・吾川村)と地つづきし、いのち通わせあう大いなるいきもののすがたを見せている。
 わが柳谷地塊体の大きさを見よう。北東端中津山(一五四一メートル)、北西端大川嶺(一五二五メートル)、南東端天狗高原(一四八五メートル)、南西端姫草(一三〇〇メートル)。この四点を結ぶと、ほぼ整った平行四辺形となる。四辺の長さ約一一・五キロ、一一・四キロ、一一・〇キロ、一〇・七五キロであるから、ほとんど菱形に近い。
 対角線長さ約一七・八五キロ、一二・五キロは、大字西谷大成あたりで交わることとなる。
 今日の総面積、一二六一〇ヘクタールで、その用地別内訳は、田 六七ヘクタール。 畑 五四ヘクタール。 樹園地 五八ヘクタール。 採草放牧地 二二一ヘクタール。 小計 農用地 四〇〇ヘクタール。 山林 一一五〇八ヘクタール。 宅地等 三四ヘクタール。 その他 六六八ヘクタール。となっており、山林が九一・二パーセントを占めている。
 今仮りに、この今日の地表面ができる浸蝕活動が始まる前に、造山活動がおさまって、厚さ何千メートルもある柳谷の原地塊が仕上っていたと考えると、そのすがたは、搗きあげられた大きい菱形状した餅の塊が、あたかも上天に供えられているかのように見えたであろう。

平行四辺形の柳谷地塊図

平行四辺形の柳谷地塊図


柳谷村における断層線・地塊図

柳谷村における断層線・地塊図