データベース『えひめの記憶』
柳谷村誌
序
序に代えて あすへのことづけ
柳谷村長 近澤房男
気が遠くなるほど永い年月、涯てしないひろがりの中で、たえまなくつづけた「巨いなる安定へのいとなみ」の果てに、四国の島のほぼ中ほどに相を見せているもの、それがわが郷柳谷村の自然であります。
われらの先人たちは、千何百年から二千年ぐらい前、この地に郷びらきをはじめたものと見えます。そのあしどりを自然のそれにくらべると、かぼそく感じられます。それだけに、先人たちと自然との問答には、大きい不釣合が避けられなかったことが偲ばれるのです。先人たちの生活は、自然から教えられ、鍛えられる日夜であったでしょう。自然と解りあうため、自然にわが意が通じるために、力一ぱいに「こころみ」がつづけられ、つみ重ねられ、蓄えられてきました。わが柳谷の人々の一ばん大きい希望は、「ゆききをたやすくすること」でした。その期待を「道つくり」に凝めて、努力を貫ぬき通しました。わが村人の一ばん大きいこころみであったのです。
また、ことばを拡げ、社会づきあいに慣れ、いろいろの技を工夫発明し、そうしてそれらのひとつひとつを、まとめあげ、しっかりと身につけ、慣わしの力としました。その慣わしの力を次々へ受け渡し、受け継ぎしてきたのです。
わたくしは、この「先人のいとなみのあと」に、心からの尊敬と感謝をささげます。そしてきのうの遺産の重みをひしひしと感じるのです。きのうを受け継いた私たちは、一心になってきょうの村づくりにいそしみ、精一ぱいのこころみを重ねております。
きのうまでにきょうを添えて、あすへ継ごうとする「伝言書」。精一ぱい努力をしましたが、先人たちのこころみのあとについて、見落し見そこないはありはしないか、きょうのこころみのえらびかたに手落ちはないか、消え去り忘れられてゆくものごとに、意味づけすることに誤りはないか等々、反省をしております。しかし私は、お渡しするあすの方々から、きびしいご叱正がいただけることをよろこびとして、このつたない「ことづけ書き」をみなさんのご高覧に供するのであります。
編集関係者一同のご苦労と村民はじめ、各方面の方々からおよせくださった手厚いご協力とに、心からのお礼を申しあげて、序文に代えることばと致します。
昭和五十九年三月