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美川村二十年誌

五、久保雅晴(一八八八~   )

 一二・一三・一四・一五・一六・一七代村長。明治二一年五月一日、黒藤川字二箆に生まれた。明治三九年三月に師範学校を卒業し、久万小学校に赴任した。わずか一年で校長に抜擢され、川瀬・中津・小田・父二峰を経て再び中津へと校長を歴任、大正一四年三月まで教壇生活一九年間におよんだ。退職後、嘱望されて大正一四年一二月、三九歳の若さで村長に選ばれ、以後二〇年にわたって村政を担当した。
 彼の事業として特筆すべきものは中津村負債整理組合である。当時、中津村民は柳谷村の富豪から多くの借金をしており村内の田畑・山林でその抵当に入っているものが多かった。この負債の解決なくして村の立て直おしはないと考えて組合を作ったのである。負債整理は年次計画で長年月を要したが、遂に負債を解決することが出来た。また二箆道路の開通に努力し、辺地開発につとめるなど地味であるが着々と村政の実績をあげた。
 温厚・公平・誠実な人柄で、かほどの長年月にわたって村政を担当して村民の信望を集めた村長は他に類例がない。上浮穴郡教育界の長老、上浮穴郡町村会の元老で多くの功績を残し、現在松山で老後の生活を楽しんでいる。