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美川村二十年誌

二、古田利作(一八六五~一九三八)

 中津村四・五・六・七代村長。慶応元年九月二日、黒藤川の古田光太郎の二男に生まれた。彼は温厚な円満な人柄で、村人の信頼も厚く明治三〇年三月から四三年五月まで一三年余を勤めた。当時は政友会と憲政会の反目対立がはげしくて、一つの失政でもあると反対派は論難攻撃したし、また中津は財政的には小さな村であったため、かなりの資産家でないと村長にはなれなかった。
 彼は別に失政というものもなく、よく長年を勤めたが、その間に村の負債はいつともなくふえて相当額に達していた。そのためこの村債を私財によって償い、清算して松山に移り住んだ。
 一時は古三津役場に書記として勤めたが、やがて上一万で代書業をはじめた。こうして昭和一三年七月七日に七三歳で死去した。