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美川村二十年誌

六、土佐の志士たち

 高知県高岡郡新居村の中島与市郎(当時二三歳)、いとこの高岡郡塚地村の中島信行(当時一九歳)、新居村細木核太郎(当時二七歳)の三名は、勤王の志士坂本竜馬をしたい、京に上ろうとして吾川郡名野川渡の百性西森梅造の道案内で関所を破った。大明河峠を経て、水の峠を越え、二箆山で大雪のため歩行困難で日が暮れ、二箆山を下り、一夜を二箆部落の剛辺オトワの家で明かした。翌日与市郎は足腰の痛みから先に進めず二箆山で信行等と別れ、もときた道をひき返し、翌日水の峠の大師堂の中で射ち殺された。水の峠には史跡の標識があり、隅田幸平の手による石地蔵が安置されている。
 道案内をつとめた西森梅造は二箆山で別れて中津明神山を下り、郷土には帰らず、中津の久主で生涯をおくり大正の中頃に死去した。