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美川村二十年誌

二、弾正ヶ嶽

 稲村の先場部落に河野弾正の前膳のお堂があり、そこから一〇〇㍍のぼると弾正の母の塚が道端の畑の中にある。また、そこから急坂を一㌔ほど上ると神宮寺の跡に祠堂がある。お堂の中には、高さ四〇㌢ほどの不動明王が一体安置されている。以前は弓矢やその他武具が多数あったが、いつの間にかなくなってしまったという。
 古くから旧の二月八日と八月八日の二回に祭事がおこなわれている。そのすぐ横に岩のほら穴がみられ、弾正の住い跡とよく間違えられるのであるが、この地点から二〇〇㍍ほど道をのぼると弾正ヶ嶽がある。そこが弾正が住んでいたという鐘乳洞である。
 南北朝のころ河野弾正・土居備中守らは宮方に属して戦い桑村郡千町ヶ原の合戦に敗れ、この地に身を隠し生涯をおくったのだという。