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美川村二十年誌

四、ご祈祷

昭和初年までは、病人が出ると、医者に行くよりも祈とうをするのが普通であった。村に医者がいなかったのでもあるが、重病人が出ると、千巻の祈祷といって、般若心経を一千巻となえるのである。各組の代表が手わけして部落をまわり、力をわけてもらう意味で、一銭か二銭を集めてまわった。現在の生活困窮者への資金カンパとでもいうのであろう。また大正時代までは、夏に旱魃が続くと、部落総出でお寺やお宮に集まり、三日三晩、祈祷を休みなくおこなうのである。「般若心経」のできる者はお寺へ、「大中臣の祓」ができる者はお宮へ、どちらもできないものは二手に別れて住職や宮司を中心に大太鼓をたたいて、天にむかって大声で「雨をたもれ竜宮洞、天竺天は曇れ」ととなえ続けるのである。女・子供は、にぎり弁当を送りとどけたものである。
 これらの部落特有の祭礼儀式は、部落民の団結・連体感という結びつきの上からも意義深いものであるが、いつの間にか姿を消したことはさびしいかぎりである。