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美川村二十年誌

二、食物と農耕

 中津村はどの部落も山峡で水田が少なく、主な農産物は、とうもろこし・麦・そば・茶・みつまた・楮・麻等である。
 水田の少ない中津村にも、沢渡部落の米は味がよく「沢渡米」として郡内に名が知られていた。
 昔から裕福な家庭は少なく、昭和二〇年頃までは、主食はとうもろこしや麦であった。米を食べるのは正月の三日間と、盆と祭ぐらいのものである。祝祭日には、手打ちそばをよく作って食べ、あわもちや、よもぎもち、とうきびもちなどもよく作られたが、これは米を節約するためでもあった。
 又、毎年のように台風やかんばつに見舞われ、農民の多くは野山の「ほぜ」の根を掘って食べたという。この植物は、毒草なので、根をよく洗い、大釜で木灰を入れてゆで、ざるですり落とし、大きなはんば(浅いおけ)に入れ、ぬれ布をかぶせて清水に三日間さらし、水分をきってだんごにし、みそ焼などにして食べたという。
 又、貧しい家庭では、子どもが一〇才になると子守り奉公に出し、一五才になると娘奉公に出していた。子守り奉公では給金はもらわず、一年の内で夏物と冬物の着物を一枚ずつ作ってもらうのがしきたりであった。
 村が豊かか貧しいかは、神社の絵馬でわかるといわれる。豊かな村の社寺には、農民が豊作などのお礼に絵馬が奉納されたものである。この村の社寺には、絵馬が少ない。