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美川村二十年誌

一、農 業

その起原遠く詳かならず、現今に至りてもなお旧式にして学術の応用に乏し、三椏の栽培・養蚕等の行わるるもその盛んなるに至りしは明治二五年頃よりとす、地味肥沃なれども高峻の地なれば主産物として三椏・林業・養蚕など前途多望なるものあるべし、と前置きして、農家戸数、耕地面積、作目別に産額が列挙してある。
 戸数  四〇三戸
 耕地 田    八一町三反八畝二六歩
    畑 一、〇一四町三反二畝一六歩
 この水田八一町歩余(約八一㌶)の内訳は自作五八町歩余、小作二三町歩余であり、利用上からの内訳は二毛作田約一三町歩、一毛作田約六八町歩である。また畑一・〇一四町歩(約一、〇一四㌶)は自作五九二町歩余、小作四二二町歩余となっている。米の産額一、一二五石、麦一、〇五七石と記される。この外、みつまた 一八万二、二五五貫、甘藷 三万七、二三七貫、楮 一万三、一二五貫、馬鈴署 二万六、五二二貫、青芋 一万八、七二三貫、大根 二万五、七八七貫、果物では梅 一三石、桃 一、四三二貫、日本梨 九一二貫、柿 一、一七五貫、干柿 二、四〇九貫、蜜柑 二五〇貫、夏橙 五七貫、柚子 三八〇貫が記されている。米麦の外は作目に時代による変更が多かったにしても、この田畑反別はその後も、さして変化はなかったとみてよいであろう。