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美川村二十年誌

一一、吉岡好吉(一八九二~   )

 仕七川村二〇・二一代村長。明治二五年杣川村杣野(現面河村)の青木家に生まれ、四〇年仕七川村の高等科を卒業して上浮穴郡立教員養成所に入学した。卒業後は郡内各小学校を歴任し、昭和一九年久万小学校長を最後として三三年間の教員生活を終えた。その間、本郡教育につくした功労は大きく、彼の薫陶を受けた人々は数え切れない。昭和二二年に仕七川村長となったが、太平洋戦争後の混乱した世相、加うるに二〇年の大風水害で村政上の問題が山積していた。彼はまず災害復旧に取組み、インフレと資材不足に苦しみながら道路の改修、岩屋橋・槇谷橋・中村橋・仕出橋等の架橋を行なった。教育界の元老であっただけに、「村づくりは人づくりから、新日本の建設は教育の振興にある」という信念を持ち、六三制の発足と共に仕七川中学校の校舎建築に腐心し、二三年八月これを完成した。また老朽化した村内三小学校舎を二九年までに新校舎に改めた。いっぽう農林業の振興に力を注ぎ仔牛の導入をし、たばこ栽培の許可を得た。また危機に瀕していた農業協同組合の組合長となって立て直しをした・町村合併にも率先努力し、また県議会議員に当選して黒森線の開通に努力するなど、上浮穴郡の発展に寄与する所大であった。昭和四八年五月、多年にわたる自治の功労に対し勲五等旭日瑞宝章が授けられ、現在悠々自適の生活を楽しんでいる。