データベース『えひめの記憶』

えひめの記憶 キーワード検索

美川村二十年誌

七、渡辺太作(一八七八~一九三九)

 明治一一年に越智郡大三島に生まれ、長じて商用で仕七川村に来るようになり、東古味に定住した。その手腕を認められて四二年に信用購買販売利用組合の初代組合長となり、ついで四四年役場に入り収入役、大正九年助役、一三年に一一代村長となった。新村長の最初の課題は従前からの仕七川小学校の校地拡張か移転かの紛争を解決することであった。これはけっきよく同年一二月に東古味が一、五〇〇坪の土地を寄付することによって移転が決定した。仕出分教場の新築、東川分教場の東川小学校昇格などが行われた。昭和六年に一四代村長、引つづき一五代村長となり農村不況の中で仕七川を経済更正指定村とし、失業者救済の土木事業を起し道路改修、境野トンネル延長工事などを行ない、また昭和一二年に全村点燈を完成した。同一四年、六二歳で在任中に逝去した。
 子宝に恵まれず、岡崎滝次郎を養子に迎えた。彼は優秀な教育者で女子師範学校訓導、弘形第一小学校長、東宇和郡宇和町県視学をつとめ、陸軍中尉として太平洋戦争に加わり戦死した。未亡人正子は東古味で商業を営み、長男昭男は愛媛信川金庫に勤務して松山に在る。