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美川村二十年誌

三、高岡長三郎(一八五三~一九一四)

 仕七川村四・五・六代村長。嘉永六年尾張国千代田村(現愛知県稲沢市)に生まれた。旅絵師として大味川に逗留中人柄を見込まれて横山の高岡家に婿入りした。もとの名を水谷長三郎という。「野取図」等をかくことに秀でていたので役場に入り、やがて収入役となり明治三三年四代村長となった。教育の振興と産業の開発に尽した功が大きい。教育面では仕出・槇谷に校舎を建て、四二年に義務教育が六年に延長されると、全村一校をめざし仕七川尋常高等小学校を建築した。新校舎は六教室、当時としては大規模なものであった。遠距離の児童のために寄宿舎を、また仕出・槇谷・東川に分教場をおいた。産業面ではみつまた作りを推進し、じゃがいもの試作をした。四一年農会長となって養蚕業をすすめ、また「植林は村を興す」と唱えて村有林の造成につとめた。道路にも意を用い、御三戸、池川間の土佐道開通にも努力した。大正元年九月、三期にわたる村長任期を終って家業にいそしみ、三年に六一歳で逝去した。高岡家の当主弘明は愛媛信用金庫に勤務している。