データベース『えひめの記憶』
美川村二十年誌
四、林 業
村有林の概況
村有林は、本格的には明治四一年以降造林計画が樹立され、土地の購入が始まり、大正六年事業計画の大部を終了した。その成果は五団地五四筆、台帳面積二五町一反六畝一歩、実測面積約七五町歩となっている。
これら村有基本財産の収益は、だいたい昭和一〇年に始まって三〇年にはほとんどが伐採されていた。この収益金は村財政費の一部と、他の多くは学校・公民館・橋梁等の建設事業面に費消された。
伐期に達していたことは勿論であるが、戦後この植林の伐採による事業が続行され、村内公共施設の発展充実に大きな寄与があった。
昭和三〇年には町村合併が決定し、これにともなって、村財産の処分が行なわれ、植林の伐採がなされた。シタヤマの全伐がこれである。
この収益金は、仕七川村内の各部落に配当されたが、各部落ではこの資金によって部落有林の造設が義務づけられていた。
その結果、仕七川における公有部落林は大きく増反されたわけである。
民有林の概要
本村の公有林造成期が明治四一年ごろに始ったのと同じように、民有林もようやくこの当時から造林に力を入れるようになったもようである。
明治四三年の人造林反別
官 林 四町三畝一五歩
公有林 一三町七反一畝歩
私有林 六六二町五反二五歩
社寺林 二二町三反一畝一六歩
明治四三年には民有林は六六二町歩であったが、約六〇年後の昭和三〇年には二、九四三町歩が増反され、民有林総面積は三、六〇五町歩になっている。