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美川村二十年誌

二、工芸作物

 みつまた 明治四三年には作付面積五二〇町歩、黒皮一三万六〇〇〇貫を産し、農家収入の王座をしめていたが、昭和になって生産量は順次低下し、みつまた畑も植林化の傾向をたどっている。
 養蚕 明治二〇年には飼育者が二〇戸であったが次第に増加したので、明治四一年に仕七川養蚕組合を創立し稚蚕共同飼育をはじめた。四三年には飼育者三四戸、桑園五町八反、収量五〇石六斗に達した。
 昭和にはいると戦時体制が次第に強化され、食糧増産に主力が注がれて次第に減産し、ついに昭和一五年に全くその影をひそめてしまった。
 たばこ 昭和二九年に三町歩の耕作許可を得たのがはじめであったが、翌三〇年には五町四反歩に達した。