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美川村二十年誌

一〇、土居 通栄(一八九〇~   )

 明治二三年九月一五日に有枝上屋敷、土居善太郎の三男に生れた。生来読書好きで教員を志し愛媛教育協会教員養成所に入り、一九歳で終了し、明治四三年に久主小学校を振出しに郡内各小学校の訓導・校長を歴任し、昭和一五年三月に杣川尋常高等小学校長を最後に教育界を勇退した。彼は温厚・誠実な熱心な教育者で児童の自発性を重んじ、また農業補習学校の教師としては地域の将来をになう青少年のため努力を傾注した。
 退職後、有枝で農事に従うかたわら県学務主事、弘形農業会専務理事をつとめ、二一年一一月八日村長臨時代理、翌二二年四月一目公選初代の村長に当選し、三期目の途中で町村合併が行なわれ、初代美川村長となった。
 戦後の混乱期にあって窮乏した村財政のたて直し、産業振興、農家の経済確立をめざして各種の公共事業に精魂を傾け、特に広域行政による地域の発展をめざして町村合併推進に力をつくし、美川村長としては新村の基礎がために多大の貢献をした。
 村長辞任後は人権擁護委員として活動する傍ら、晴耕雨読の生活を楽しんでいる。「事を処するに信念を持て、正しければ強し」を信条とし、村民の尊敬と信頼を得ている。四八年一一月三日に教育・行政・福祉等の功績が認められて生存者叙勲、勲六等旭日単光章を授与された。