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美川村二十年誌

二、食生活

 従来の主食はトウキビ、麦であったが第一次大戦後のころからしだいに白米食が多くなって来た。それは支那事変・太平洋戦争の始め頃まで続いたが、軍の命令により白米食が禁じられ、粉食・雑穀混入・野菜その他の代用食を摂るようになった。戦後も二年余りは配給制度による代用食をしいられ、また外米の配給を受け、ねばりのない米をよくたべた。
 昭和二八年ごろからようやく米食が意のままになり始め、今日では雑穀混入をしている家庭はない。
 副食は、「おかず」「おさい」といって、主として野菜である。その他は豆類・芋類・ワラビ・ゼンマイ・フキなどの山菜も食していた。またウド・タラの芽も重宝がられた。魚や肉などは従来は日常に食べることはなかった。それでも祭・盆・正月には「無塩」と称する生ざかなをたべていた。
 明治三九年頃より海魚や肉食などが普及し、道路網の拡大・交通の発達によって生魚の量が増し、価格も安くなったし、いっぽう木材・薪炭類の値上りで収入も増加したりで需給者はふえていった。
 昭和二〇年ころの終戦前後は極度の物資不足で、再び野菜万能におちいったが、数年にして景気も立ち直り、副食物も豊富になった。
 また調味料としては、味噌・しょう油・塩で、味噌・しょう油は自家製であった。