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美川村二十年誌

三、弘形村教育委員会

 昭和二三年教育委員会法が公布施行されたが、教育委員会が発足したのは都道府県と一部の市町村だけであった。
 同二七年一一月一日を期して、すべての市町村に教育委員会が設置されることになり、弘形村教育委員会が設置され、学校の管理運営をはじめとする教育事務を担当することになった。
 教育委員は公選(無投票)により、教育委員長元川鼎造・山本利秋・山田盛重・篠崎義喜のほか議会選出として平柳進が選出され、教育長は助役の黒川兼市が兼任した。
 学校教育・社会教育の振興、施設・設備の充実に努力していたが、弘形村閉村と同時に美川村教育委員会に引きつがれた。