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美川村二十年誌

一、製 茶

 藤社製茶改良組合(明治三五年ころ創立)
 当時の村長であった森岡牛五郎の肝入りで、藤社に二つの製茶工場(上工場と下工場)を作り茶の栽培に力を入れる。静岡県より青野竹次郎技師を招き、製茶技術を学び、明治四〇年ころより栽培は軌道にのった。二つの工場は、生産高による優勝旗争いをして競い合った。明治四五年の大風により下工場が倒壊したため、現在の公会堂の地へ三間と三六間の総合工場を建て、工場を一箇所にする。
 製品は清水義太郎が代表者となり、県外販路は神戸の中村栄治(商標エ)に売り出していた。県外輸出は一等品、県内は二等品、行商用は三等品であった。また、年一回二番茶を取り終ったところで製茶大会を催した。県内から七○名程度の選手が参加し、出店も出て見物の老若男女でにぎわった。製茶が盛んになるにつれ技術者の養成が必要となり、藤社に製茶技師養成所を設け、指導者の養成につとめる。ここで養成された指導者は県内はもちろん、高知県までも派遣されて製茶技術の普及にあたった。藤社の鶴居義弘は有枝村へ、本組の堀川伊助は渋草へ行って製茶の指導をしたそうである。鶴居義弘宅には茶についての賞状が数枚あるが、その一枚は左の通りである。

賞 状
        愛媛県上浮穴郡弘形村 鶴居義弘殿
 緑茶四等
  愛知県主催 関西地区共進会
    明治四三年六月五日
                    農商務大臣 小松原 栄太郎
 
その他には、緑茶壱等(大正四年)、緑茶二等(大正一二年)などがある。(藤社、鶴居義弘氏談)