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美川村二十年誌

第三節 いよすだれ

 古代の久万山の産物として「いよすだれ」は有名である。
 久万町露峰の西之川口から二㌔余りの急な坂を登った山の一画、わずかに六六㌃の土地が「イヨス山」と呼ばれて県から天然記念物の指定を受けて、いにしえの面彫を残している。ここに自生する「イヨダケ」で編んだ「いよすだれ」は一、〇〇〇年前の平安時代に、都の貴族の邸宅で日除けとして使われた。これが風流なものとして珍重されたらしいことは、清少納言の「枕草子」の中に、
 庭いと清げにはき……伊予簾掛け渡し、布障子など張らせて住いたる、
などと見え、また紫式部の「源氏物語」浮舟の中にも、
 伊予すはさらさらとなるもつつまし、新らしう清げに作りだれど……
というように、涼しさを呼ぶ貴族生活の風物詩の一つに語られている。
 また恵慶法師の歌。
 逢ふことのまばらに編める伊予すだれいよいよ我をわびさするかな
では、恋しい人に逢うこともとだえ勝ちで、それは、すき間多く、あらあらしく編んだ伊予すだれのようにわびしい、と形容されている。
 植物学者八木繁一の説によれば、イヨダケはまたスダレヨシ、イヨスダレとも呼ばれ、直径三㍉、長さ二㍍もある細長い竹で、幅一㍍、長さ二㍍程度のすだれを作るには、およそ七〇〇本の竹がいる。原竹の中央の部分のよい所で仕上げたものは、まことに美しく風通しもよく、ビニール製などとは比較にならない、という。
 この外、平安時代の産物として浮穴郡から朱砂、硝石を出している。朱砂(朱沙)とは塗料であり、硝石は野尻村から出て一名久万焔硝とも呼ばれたと、のちの本に出ているから、硝石も朱砂も恐らくは久万山から出たものであろう。