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美川村二十年誌

四、上黒岩遺跡の特色

1、古く長く人類が住んでいた。
 第九層からは線刻像・有舌尖頭器・細隆線文土器が出ているが、この地層で発見された木炭を米国ミシガン大学で放射性炭素の測定をした結果、約一万二〇〇〇年となった。第六層約一万年、第四層約八〇〇〇年といわれ、弥生時代に入るまで、五・七・八層を除き、長期にわたり人間が住んでいたという点で、長崎県福井洞遺跡と並んで、日本での貴重なる繩文岩陰遺跡である。
2、線刻像
 小さい緑泥片岩に、鋭い石器などで描いたものが、長い髪・大きな乳房・こしみの・かすかにわかる逆三角形。一万年以前も今も魅力の対象は変らぬものかと興味深い。乳房はなく髪と腰帯のようなものを描いているのは、男性なのか、子どもなのか。信仰の対象であったろうといわれている。もちろん日本では始めて、南ヨーロッパに類似のものが出土しているだけという貴重なものである。
3、多様な装身具
 貝類動物の骨石などで作った腕輪・首かざり・耳かざりと思われるものが数多く出ている。海産のイモ貝やヨメガカサも使われている。弓矢が発明されて獲物も多くなり食物も豊富で生活にゆとりのあった証拠であろう。いつの時代も「カッコいいおしゃれ」は変らぬものとおもしろい。
4、投槍のささった腰骨
 腰骨をつらぬいて直腸に達し、致命傷になったものだといわれ、当時のきびしい生活の一面を物語っている。矢じりのささった人骨はかなりあるが、鹿の角の投槍のささったままのものは日本で始めてである。
5、シベリヤ山猫の骨
 オオヤマ猫ともいい、シベリヤの原産。日本では北海道から出土している。約一万年前には九州、朝鮮とは地続きであり、それ以前アジア大陸とも地続きの時代があったので、シベリヤから移住したものの子孫が狩の対象になったものであろう。
6、数千年も昔の人骨
 三・四次の発掘で少くとも一六体以上の人骨が発掘されている。繩文早期の地層からの出土が多く、完全に近いものもあった。これは現地が南向きの岩陰で、しかも傾斜地であるためいつも乾燥している上に、石灰岩がとけた石灰分の消毒力が腐敗を防いだものと思われる。