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美川村二十年誌

二、調査の経過

1、第一次調査(三六年一〇月一五日から三日間)
 県教委と美川村教委が主となり、西田教授を中心に高知県文化財専門委員岡本健児、上浮穴高等学校松本重太郎の協力、慶応大学文学部江坂輝弥講師の来援も得、表土から第三層まで調査を実施した。繩文早期の押型文土器片・同前期の土器片や骨角牙器・装身具類などが出土した。また数個の板状の石の下から早期の土器片や石鏃(やじり)とともに成年女性の人骨などが発見された。中央中学生徒が発掘に奉仕作業。
2、第二次調査(三七年七月二一日から一〇日間)
 文部省の援助、日本考古学協会と県教委・美川村教委の主管で江坂講師を中心に新潟大学医学部小片保教授、愛大西田教授、高知女子大岡本健児講師らの協力のもとに、慶大・愛大の学生、中央中学の生徒の奉仕により、炎天下で、第一四層まで本格的に発掘調査された。この結果、第四層より繩文早期の押型文土器、第六層より早期の無文土器、弓矢発明初期かと思われる小形石鏃等、第九層では繩文草創期とされている細隆起線文土器とその丸底、舌状の茎のある石槍ともいうべき有舌尖頭器類、わが国で初めての小さな青い川石に女性などを線描した女性線刻像七体などを発見した。第四層は約八〇〇〇年前、第六層は約一万年前、第九層は一万二〇〇〇年前の遺跡である。第一〇層から一四層までには、わずかに横長の石の剥片一点が遺物として見つかったのみであった。
3、第三次調査(三七年一〇月一三日から六日間)
 第二次とおなじ企画により実施、日本考古学会八幡一郎委員長も来村し、奥壁近くの早期繩文土器出土層中で、乳幼児から成人までの男女人骨を一一体取りあげ、更に多くの装身具類動物遺骨などを発見した。
4、第四次調査(四四年八月二日から一二日間)
 第三次以後久しく延期されていた調査も、江坂助教授の熱心な要請もあり、出土品の処理等についての江坂教授・県教委・村教委が協議の結果を覚書として交換し、文化庁の援助も受け、江坂助教授を調査団長に、西田教授・岡本教授・新潟大学医学部の森本岩太郎・小片立彦両助教授の協力のもとに再開された。人骨担当の森本・小片両助教授により、二次埋葬された成人男子骨五体分以上を収納した。この中に、鹿の骨で作られた槍先が突きささったままの男子腰部の寛骨が貴重な発見となっている。この他、オコジョの下あご、ヨメガカサから作った貝製腕輪・矢柄研磨器・線刻像などが見出だされた。
5、第五次調査(四五年一〇月二四日から六日間)
 江坂団長・西田教授・岡本教授の協力のもとに奥壁部を第九層にあたる繩文初期文化層まで掘り下げ、既出遺物と層序との関係の確認、遺跡の整備などがなされた。

上黒岩岩陰C、D区境界の西北断面図(第2次発掘)

上黒岩岩陰C、D区境界の西北断面図(第2次発掘)