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美川村二十年誌

第二節 幼児教育

 昭和三一年度に「母と女教師の会」や婦人会などで話し合いが進められ、実験学級として、仕七川小学校区域で幼児学級がはじめられた。
 三二年度には、村内各小学校及び分校八ヶ所で幼児学級が開設された。学級主事は、各小学校長又は分校主任が兼務し、保母は非常勤であり、各地域において保育の指導ができる者を委嘱した。三三年度は、年間三〇~三五回の予定で開設された。一〇月八日には、村内各幼児学級が保護者同伴で、六台の貸切バススをつらねて松山への社会見学旅行がはじまり、その見学は保育にいかされて毎年続けられた。
 三四年四月一四目、村内幼児学級が一斉に開級式を行なった。幼児数二二〇名で、就学率は一〇〇%に近く、一学期は週一回、二学期から週二回開いた。当初は机・腰掛・遊具教具等不充分であったが、その後幼児学級振興映写会が四年間続けられ、その収益金が設備の充実にあてられた。
 三六年度には、専任保母を四名設置して、隔日開級を行なった。その後、全村的に全日保育の要望が高まり、幼児教育の重要性が重視された。四一年度から専任保母が増員されて、六名になり、全日保育がはじまった。東川・二箆幼児学級は該当の幼兜が少なく、四・五才児混合保育になった。四三年度には、仕七川・美川西・美川南幼児学級は、へき地保育所に認可され、村保育園条例に基づき保育園と改称し、それぞれ保母も一名増員し、四才児・五才児を対象に二年保育になり、保育内容も一段と充実した。四四年度には、黒藤川・東川に保育園が新設されたが、四六年に東川は園児の減少によって、へき地保育所の認可解除にともない、幼児学級として保育園同様の運営がなされている。

各園長 1

各園長 1


各園長 2

各園長 2