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美川村二十年誌

第二節 テレビジョン局の誘致

 昭和三五年頃からテレビの普及が急カーブで上昇を示してきたが、本村では鮮明な映像を求めるには遠方より電波をとる共聴設備が必要となった。そのため難視聴部落では過疎対策事業として補助をうけて共聴施設を設置したが、維持管理費の増大で中継局の設置が急務とされ陳情要請の結果、まずNHKテレビジョン局の誘致に成功した。場所は美川村の通称赤蔵が池山系、標高一、〇〇〇㍍で県内の局では一番高い山の上の放送局であるが、県道から山頂のテレビ局まで、延長三、九〇〇㍍の車道は村において開設した。開局は昭和四二年一二月一七日、これによって美川村六二〇世帯、久万町三八〇世帯合せて約一、〇〇〇世帯が鮮明な画像のテレビ放送を見ることが出来るようになった。
 その後、この中継局では聴視範囲に入らない黒藤川地域と、日野浦栄重地域の難視聴約二〇〇世帯からの強い要望もあって、集落の向い側に当る通称ユカタ山の高地に黒藤川中継局を完成して、昭和四七年八月二九日開局した。局としては、はじめ柳谷村との併設局を考えていたが、地理的条件に制約されて単独設置となった。
 引き続き民放テレビ局の誘致に努め、まずテレビ愛媛との交渉で工事賞(設備費)の二年間立て替えを条件として早期化が実現し、NHKテレビジョン局と同地点に開設された。テレビ愛媛は昭和四八年八月九日開局となった。立替金は、村一般会計より一三二万二、〇〇〇円支出され昭和五〇年一二月二五日まで無利子の立替である。テレビ愛媛局の開設が促進剤となって南海テレビも開設が決定した。これは村の立替金なくして約一ヶ月後の同年九月二五目開局された。これで美川村ではすべてのテレビ中継局が完備され、鮮明な画像のテレビ放送が楽しめるようになった。