データベース『えひめの記憶』
美川村二十年誌
三、柳谷郵便局
明治一四年一月に郵便配達事務が開始され、柳谷村と中津村が郵便集配区域になった。町村合併により中津村は二つに分割され、黒藤川・二箆・沢渡は美川村となったが郵便集配事務は柳谷郵便局が行っている。
明治四二年一月電信事務が開始され、旧中津村の黒藤川・二箆及び旧弘形村の日野浦全域が受持区域に指定された。この電信事務は合併後も変りなく残っている。
昭和五年三月、電話交換事務が開始され柳谷村役場と中津役場に加入電話が出来た。農村における電話の普及はおくれていたが、農村公衆電話法や公衆電話法により昭和三二年一二月、特別区域である美川村日野浦地区の本田茂・坪内益美宅に農村公衆電話が設置され、続いて美川スキー場、山口静馬外八人の宅に順次指定開通し、これに伴う増設加入の道が開かれ、多数共同電話で利便を受けることになった。
昭和四七年三月に日野浦地区・黒藤川地区に柳谷局地域集団電話二二四加入が美川村の事業として開通して、美川地区の電話加入事業は大きく発展することとなった。
昭和四九年一一月に電話事務は大きく変動を来たし、郵便局扱いが電信電話公社に自動改式されてダイヤル式に変わり、郵便局も村境もなく全国即時通話の便利なものとなった。しかし、美川村内にある受持区域の郵便集配と電信事務は柳谷郵民局の扱いとして残り、美川村発展向上のため寄与している。
歴 代 局 長
初 代 梅 木 廉 蔵
二 代 梅 木 静一郎
三 代 亀 井 茲 武
四 代 佐 伯 義一郎
局長心得兼務逓信局書記官
五 代 松 崎 貞太郎
六 代 鶴 井 浅次郎
局長心得兼務郵政事務官
六 代 岩 市 由 春
現 在 岩 市 由 春