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美川村二十年誌

三、村 道

 村道の新設改良では、あまりめざましいものはなかったが、県費補助事業或は愛媛県低開発地域振興対策事業などにより、梅之瀬橋(黒藤川)の改築を手始として橋梁の永久橋化や小規模の道路改良が行われるようになった。
 なかでも沢渡橋の改築については国道改良により塔の移転と対岸が地すべり地帯であるための地形変動等も原因し、けっきょく三回の改築がなされ現在に至っている。
 また山村振興法による特認事業としては、一躍クローズアップされたスキー場に至る大谷本線の曲部改良の外、東川の三和橋の改築は昭和四五年三月に完成し、また山振法の特認事業として大規模の沢渡線の改良が国庫補助事業として着手され、昭和四五年から四八年七月までに事業費六,六六〇万円をもって沢渡部落入口に達した。
 この道路は地元、沢渡部落の長年の夢であり、再三にわたって、その声もあったが、起点の位置を御三戸にするか或は沢渡橋とするかで議論され、何れも中を流れる面河川にさえぎられて道路は実現しなかった。
 そのうちに前記山振法の施行によって、コースも筒城から峠越えをする現在のものに決定し、部落世話人も若手連中で結成され、いよいよ鍬入れの段取りとなった。着工はしたものの、長い区間の用地の確保には村も地元も大変苦労をし、また施行した業者においても工事現場は土質軟弱なため建設資材の運搬には泣かされたものである。
 木地線は、筒城と二箆との山頂にテレビ塔が建てられることになり、その管理道路として建設されることになった。道路起点は置俵とし、二二〇〇㍍は林道として開設され、これより峠までを村道として建設が進められたが、工事が難行して苦労が多かった。
 村逆舗装事業は昭和四三年に中黒岩部落を施行したのが最初であり、逐次重要なものから実施された。
 吊橋は平井・沢渡・平和橋の三本があるが、何れも安全なものがなく、改築の計画をするにも設計施工ともに技術者が乏しい現状である。今後の悩みの一つである。

主な村道一覧(幅員2m以上)

主な村道一覧(幅員2m以上)


主な土木工事施行状況 1

主な土木工事施行状況 1


主な土木工事施行状況 2

主な土木工事施行状況 2


村道の動向

村道の動向


永久橋架設状況(10m以上)

永久橋架設状況(10m以上)