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美川村二十年誌

二、組合の歩み

 前述のような経緯で、弘形・仕七川・中津の三森林組合が設立され、戦時中は軍用材の伐り出しを主目的として、事業を進めていたようである。その後昭和二六年の森林組合組織変更を機に、指導・養苗・利用・金融事業を通じて、旧態から脱皮し組合員とのつながりを深めていったようである。
 尚事業については、三組合共、造林補助金の取扱・林道の開設・公庫資金の転貸等を推進して来た。
 美川村が、合併後、一行政機関内に三森林組合があるのは不合理であるとの声と、関係当局の指導をあおぎ、以来村長以下各森林組合役員が中心となって合併について、協議、研究した結果互いに合併の必要性は認めながらも、仕七川森林組合は、組合内部の諸事情もあって、合併に踏み切れず一時中断となり、やむなく二つの組合のみに於いて昭和三二年二月合併予備契約の調印にこぎつけ一〇月三〇日を期して、弘形・中津の二森林組合の合併が成立し、ここに新しい美川村森林組合の発足をみたのである。
 しかし、前述のとおり、村内に未だに二つの森林組合が存在している状態では、村民に対して不便を来たしている現状に鑑み、両組合に於て協議研究中の所、美川村が昭和四三年に『林業構造改善事業』の指定を受けるに当り、村内に二つの森林組合がある現状では、事業推進上、指定困難との判断から、関係者に於て合併問題が取り上げられ、ようやく九年目の昭和四一年一二月合併予備契約の調印を了し、ここに美川・仕七川の二森林組合の統合が成立。全村を一つにした新しい美川村森林組合が発足したのであった。
 その後、昭和四三年度に第一次林業構造改善事業の指定を受け、諸事業も無事終了した。ついで昭和四七年度に第二次林業構造改善事業の指定を受けて目下事業実施中である。

森林組合役員名簿

森林組合役員名簿


美川村森林組合合併時及び現況

美川村森林組合合併時及び現況