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美川村二十年誌

一、村内農協の合併

 昭和二二年農業協同組合法が国会で可決成立し、翌二三年農業協同組合が発足した。本村にも旧仕七川村・弘形村・中津村に経済・生産と物心両面にわたる『心のよりどころ』として農民期待の中に、各村単位に農業協同組合が設立され活動を開始した。
 然し、経済の変動などの悪循環が重なり、中津村農協、次いで弘形村農協が不振に陥り、建て直しの努力も空しく、両組合とも解散の最悪状態となった。村内唯一の農協として残った仕七川村農協も、昭和二九年当時の農民の大きな収入源であったみつまたの暴落によって大きな欠損金を出し、三ヶ月の事業停止、事業再開後の貯金払い戻し停止一年と、事業運営上一大ピンチとなった。
 このように混乱した情勢の中で、仕七川村・村議会議員・農協役職員・組合員の組合再建意欲は一年を待たず、翌三〇年一〇月に貯払を開始、平常運営に立ちもどった。
 三〇年三月三一日、町村合併が実施されたが、同年五月三日の総会に於て、名称を「仕七川村農業協同組合」から、「美川村農業協同組合」と変更し、地域も美川村一円と決定、一村一農協の基盤が確立された。
 ここで体制作りは整ったが、事業面では貯払停止等の影響は大きく、特に貯蓄増強に関しては見るべきものなく、実績向上の障害となった。しかし三一年度より地区拡充に伴なう組合員の加人推進、部落別懇談会の開催、五月より御三戸支所を設置して全域に亘る事業拡大強化に努めた結果、新加入組合員も漸次増加し、組合活動もようやく軌道に乗った。