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美川村二十年誌

三、郡の統合(明治三〇年)

 明治二一年の市制町村制にひきつづいて二三年五月には府県制郡制が公布されて、地方行政制度はしだいに整備されていった。愛媛県の場合は行政単位としての郡の広さの不平均が目立ったため、その手直しが行われることになった。
 二九年四月に越智・野間の二郡を合せて越智郡とした。また下浮穴郡の八力村(原町村・砥部村・広田村・出淵村・中山村・佐礼谷村・上灘村・下灘村)を伊予郡に合せた。
 三〇年四月には大がかりな郡の統合が行われた。これまでの温泉・久米・風早・和気の四郡と下浮穴郡の残りの六力村(三内村・南吉井村・浮穴村・拝志村・荏原村・坂本村)および伊予郡の二村(垣生村・余上村)を合せて温泉郡とした。また周布・桑村の二部を合せて周桑郡をつくった。
 これによって周布・野間・風早・和気・久米・下浮穴の七つの郡名が消えて新しい周桑郡が生まれ、越智郡・温泉郡・伊予郡は郡名はもとのままだが、区域をひじょうに拡大した三郡に代わった。
 このとき定まった松山市・宇摩郡・周桑郡・越智郡・温泉郡・伊予郡・上浮穴郡・喜多郡・東宇和郡・西宇和郡・南宇和郡という一市一三郡の名称は、今後ながく県民の生活に親しまれるものとなった。