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美川村二十年誌

第二節 人口動態

 山村としての美川村は典型的な過疎地域といえる。合併当時九九三一人の人口が、現在ではほとんど半減の状態にある。また年令別人口構成を見ると、二一歳から三〇歳までの中堅労働年令層が目立って少ない。これらの人々が都市部に転出していることは明らかで、昭和四六年の統計によると県内では松山に出ている者が圧倒的に多く、これにつぐのが今治・北条であり、県外では大阪・愛知・高知の順となっていて転出合計二七一名となっている。
 いっぽう美川村へ転入して来た人には県内では松山市から三四名、久万町・柳谷村各八名が多く、県外では大阪から九名、高知から八名、東京から六名などで、転入合計一一二名、したがって昭和四六年の美川村の社会的人口減少一五九名となる。こうした減少傾向は表のように、ここ数年間の傾向である。
 年齢別人口構成 美川村の人口を年齢別・男女別に分けて見ると、だいたい社会状態や経済状態が推察できる。いっぱんに五歳ごとに階級区分をするが、これで見ると典型的な農山村型(ひょうたん型)をしている。二一歳から三〇歳までの成年層が最も少なく、労働力の都市流出が考えられる。また五歳までの幼児が非常に少ないのは、ここ四、五年間の出生率の低下を示している。一一年ないし一五年前の出生率に比して甚しく少ないのは若い親たちの都市転出が、ここ四、五年間特に著しいことによるのであろうが、この少ない年齢層が成人となるころの美川村が案ぜられる。この人口は甚しい社会変動でもあって都市からのUターンでも行われない限り、減るとも増加することはないからである。八一歳以上の高年齢層が意外に多いのも実は日本の近年の平均寿命の高まりに符合するものである。

美川村の人口推移

美川村の人口推移


転入・転出(昭和46年)

転入・転出(昭和46年)


美川村の年齢別人口構成(昭和46年4月)5350人

美川村の年齢別人口構成(昭和46年4月)5350人