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面河村誌

(三) 葬 送

 数ある生物の中で、人間ほど永生きするものはない。蜉蝣は夕慕れを待って死に、夏の蝉は、春や秋を知らないというように、短命なものもある。
 生物は死ぬまで生きている。しかし、ただもう、生に執着する心ばかりが深くなって、人の世の情趣を解することもできなくなっていくのは、全くあさましいといえる。
 人の死亡率は、明治時代から多少の変化はあるものの、大勢は下降の一途をたどり、ここ数年の死亡率(人口千人比)は、昭和四十八年六・六、昭和五十年六・三、昭和五十二年では、死亡六九万件、その率六・二、四五秒に一人の割合で死亡している。
 日本で最初に平均寿命を計算したのは、明治二十四年。明治三十一年の平均寿命は、男子四二・八歳、女子四四・三歳。この約八〇年間に、日本人の平均寿命は、ざっと三〇年延びたことになる。つまり現在、男子七二・一五歳、女子は七七・三五歳の喜寿に達した。これは、世界で屈指の長寿国、世界一の長寿国スエーデンが、昭和四十八年(一九七三)、男子七二・一二歳、女子七七・六六歳。しかし、この延び率は、ずっと落ちているため、その後の延び率を勘案しても、日本の平均寿命は、男子は世界の長寿一、二位、女子も五位以内に入ることは確実であると、厚生省はみている。
 現在当村での葬儀は主として次の二とおり行われている。
 1 仏 式
 多くはこの方式である。渋草薬師寺、直瀬浄福寺(杣野前組地区)の檀家である。寺の宗派は禅宗。最近の寺は、ある意味で、葬式のためにのみ存在する寺であるかも知れぬ。
 戒名(かいみょう)は、法号ともいい、俗名と改めて授けられる名で、僧侶が死者につける名である。この俗世の記憶もいろいろ結びついている。この世の自分の名と別れるために戒名をつけるということも、考えられなくはない。院号と居士・大姉、これがみな、難しい漢字を使って、一般には余り親しめない。その戒名にも、いろいろランクがあって、それぞれ相当の布施を寺に払うのである。
   火 葬 料  久万町営火葬料 五〇〇〇円
          美川村営火葬料 四〇〇〇円
         (火葬の場合の入費、なお火葬にする場合は面河村
         から四〇〇〇円の補助)
   祭壇設営料  四万円(その他に棺など、一式をそろえて約五、
             六万円)  
        久万農業協同組合の例である。
 2 神 式
 これは、宮司による葬儀である。こうした人を神徒と称し、その歴史も古く、中組、本組などで現在約十五、六戸である。
        嘆  願  書
                              私等
 神徒葬祭ニ就テ今般各自申合セニ依リ神徒葬祭用具買入致度候処経費多額ヲ算シ時局柄各々醵出金困難ニ有之候次第村局ノ応分ノ助成金下付ヲ乞ヒ以テ目的達成致度別紙見積書相添へ比段嘆願候也
  昭和十年二月二十八日
     面河村神徒
                 代表者   岡 崎 種 芳
                       外三十名
  面河村長  高岡宮吉 殿
      別  紙
  神葬祭用具買入見積書
      葬具ノ部
  一 五拾円  五色旗五本、壱本ニ付拾円
  一 四拾円  紅白旗四本、壱本ニ付拾円
  一 拾五円  葢  壱ヶ代
  一 五拾円  柩掛絹  壱ヶ代
  一 八拾円  矛    壱封
      楽器ノ部
  一 六拾円  楽太蚊  壱ヶ代
  一 五拾円  笙    壱ヶ代
  一 五 円  龍 笛  壱ヶ代
  一 五 円  篳 篥  壱ヶ代
   葬 祭 料
     五 十 日 祭
 かつては、すべて土葬であり、墓地の場所も、それぞれ勝手次第、それが大正時代の初期から、墓地は、おおむね小組単位の、一定の地域に限られた。
 久万町・美川村に火葬場が設けられ、近年おおかたは火葬により、墓標も、先祖代々の墓として、しだいに一つにまとめられつつある。墓所の構えにはいろいろあるが、墓石そのものの価格は四〇万円前後が普通である。
 形式に流れがちな葬儀や告別式のあり方に痛烈なる一石を投じたものに、近親者だけのごく簡素なものがあり、遺体焼却などの、市民的義務を果たす以外は、葬儀・告別式はいっさい致しませんとする。式のないものすら都会では、行われつつある。世間のしきたりに便乗するコマーシャリズムにわずらわされず理にかなう人間精神によって行われる葬送の後味は、あるいは、さわやかな喜びかも知れぬ。