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面河村誌

(二) 結 婚

 不況をよそに、結婚式は年々はでになってきた。ひろう宴もにぎやかに、平均的ケースだと、五〇人前後の招待客があるという。都会サラリーマンを中心とした若夫婦六〇〇組のアンケート調査(朝日新聞)によると、挙式前後の出納簿は、次のようなものである。
 新郎二六・七歳、新婦二四・一歳、結婚に要した費用は、三二四万円、ただし双方の親の負担合わせて、一四四万円、やはり親のスネカジリ型、デラックス結婚である。
 その内訳はまずエンゲージリングなどの婚約記念品代が約三六万円、挙式、披露宴に一一五万円、仲人への謝礼六万七〇〇〇円、新婚旅行費用四九万円、家具・電気製品など約一一七万円となっている。
 こうした結婚費用のほか、結納金や婚約に要した費用は一五七万円、そのうち、結納金は、見合組五〇万円、恋愛組三〇万円、平均三九万八〇〇〇円、新婚旅行は、国内五七・二%、海外三九・五%、海外旅行は、ハワイが四四%、グアム・サイパンなど二四・五%である。
 昭和五十一年、厚生省の人口動態統計によると、その年の結婚件数八六万七〇〇〇件、これは人口千人比で七・七、三六秒に一組のカップルが生まれたことになる。同年の離婚は、一二万四〇〇〇件、これは大正時代の初期に次ぐ史上第二位、四分一五秒に一組が離婚している。つまり、新婚七組に一組は離婚していることになる。
 大正初期の離婚の数が多いのは、女性の地位が不当に低く抑えられ、夫の側の一方的事情で離婚されたものと考えられるが、近年特に昭和三十年代半ばから離婚が、ぐんぐん伸び続けているのは、女性の意識と、生活能力の向上も一つの理由ではあるまいか。特に昭和五十一年から、結婚歴五年以上で、離婚する夫婦の割合が五〇%を超えており、長年連れ添った夫婦の離婚が多いのが特徴、「子は鎹」の諺も、実態と離れているようだ。
 ニューファミリーという言葉が、昭和四十五年ごろから使われ始めた。ヤングー独身貴族と呼ばれる昭和のベビーブーム生まれの男女が、結婚適齢期に達し、そして、彼らが、消費ブームの担い手としてニューファミリー運動の旗振りを続けた。
 (1) 音楽が生活に溶け込んで込んでいる。
 (2) 家族で遊ぶ。
 (3) ファッションに対する行動が積極的。
 (4) 家族のファッションに関心が高い。
 (5) 家庭生活が洋風化。
 (6) 夫に家事協力を望む。
 (7) 夫とのコミュニケーションが密接。
 これらのうち、四つ以上の条件を備えているグループを、ニューファミリーという。
 太平洋戦争以前には考えられなかったすばらしい夫婦像が、どんどん生まれている。独身不自由からの人間的解放、子を持つゆえの人生的豊饒、互いに力を出し合い支えあって、その二人自身の生活方式がつくられていく。
 面河村の結婚の歴史をみると、まず家と家との結婚であり、結婚式も家から家へ、その絆は、両家の家族総ぐるみで、深くこまやかなものであった。新婚旅行など、この僻地では思いもよらず、婚約は酒一升、結納金などほとんどなく、花嫁の荷物も極端にいえば、風呂敷包み一つ、全く簡素そのものであった。
 豆腐・蒟蒻は手作り、野菜の煮込みなど、にぎにぎしき婦人たちの手料理、地酒をくみ交わすひろうの宴、今のような豪華さはないけれど、近親者、部落の人々、婦人子供に至るまで、多くの人々に心から祝福され、その和やかさは、捨てがたい貴さがあった。そこには、えもいわれぬ、ほのぼのと、心の通じる暖かさがあったといえる。
 時は移り変わり結婚に対する若者の考え方の変わった現在、きまりきった形式も必要であろうが、もっと、アウト・ロー的なふんい気も必要ではあるまいか。
 新しい結婚式の傾向として、海外(ハワイ・グアム)で結婚式を組み込んだ旅行代理店のウエディングパックが始まってから五年、昭和五十二年の利用者は、一三〇〇組という。費用は挙式こみハワイ(六日間)で、六〇万円、グアム(四日間)三四万円、白い小さい教会で、花に囲まれて厳粛に式を挙げ、常夏の海辺の新婚旅行。日本での通りいっぺんの結婚式・披露宴は、全くいい印象ではない。と彼らはいう。