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面河村誌

(三) 浪花節と田舎芝居

 浪花節は、伝記・戦争物語などを題材にして、平明な節・調をつけて、三味線の伴奏で独演するものである。その発詳地は浪花の地・大阪である。ちょんがれ節・うかれ節ともいって、明治時代に大流行した。もとは説経、祭文から転化したもので、浪花伊助を祖とする。東中軒雲右衛門・吉田奈良丸などの功は大きい。その節回しに酔い、物語の節に感動したものである。勧善懲悪・義理人情を説き、現在でも、浪花節的人間などといわれる言葉に象徴されている。平凡ながらよき時代であったともいえる。今でいう浪曲である。
 田舎芝居に代表されるものは、歌舞伎である。遠くは阿波国から、近くは大州地方・川瀬村(久万町)辺りから巡業に来た。
 人形芝居(文楽、一名デコ芝居)の本場は阿波の国、近くは大谷文楽(大州地方)などがある。渋草には早くから常設の小屋があったが、その他は集落の農家で興行した。浄瑠璃・三味線に合わせて、人形を操る、日本固有の人形劇で、今は文楽という言葉で代表されている。
 歌舞伎、特に人形の操り芝居は、自然とこの地に浄瑠璃の流行をもたらした。遠くから師匠を招き、同志相寄りけいこをしたものである。
 裃をつけて高座に上り、見台を前に、一席ぶって人形を動かすのが無上の光栄であったらしい。実に優雅な、情緒たっぷりの、その当時の言葉でいう「なぐさみ」である。