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面河村誌

(七) 宮司(社人)

 宮司とは、神社の造営、収税などをつかさどる神職であったが、後には専ら、祭祀・祈祷などに従事する者をいうようになった。
 村内の神社の宮司は、記録によれば、菅信濃・窪越俊は藩政時代、明治中期以降は、菅正且である。正且は人格高潔にして、宮司としての風格じゅうぶん、明治四十一年(一九〇八)の、神社の統合を無難に成し遂げた。
 正且は明治十五年大味川本組生まれ、宮司職を継ぎ、昭和三年ゆえあって福岡県に転籍している。
 正且に次ぐ宮司は、小野義直である。明治二十八年十一月義直は高知県高岡郡別府村生まれ、若くして松山市新立多賀神社において、神職の修業を受け、大正六年本村助役三浦民二郎らの懇請により、当時の村内村社の宮司となった。
 そして、宮司のかたわら、面河村収入役(昭和二十一年~昭和二十九年迄)の要職にも就いた。よき意味での硬骨漢であり、神職にふさわしき気品を有し、村内神社の運営はもちろん、各種の神事に携わり、常に中正の挙措を怠らなかったのは、今でも彼から学ぶべきものの数々がある。
 現在の宮司小野義興は、義直(昭和四十五年四月死亡)の長男である。