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面河村誌

(一) 八幡神社(渋草)

 神亀五年(七二八)越智玉純によって創建されたと伝えられている。
 弘安四年(一二八一)社殿を造営し、天明元年(一七八一)改築、文化八年(一八一一)、そして安政四年(一八五七)社殿を改築している。その社殿は明治十九年(一八八六)の大暴風雨のため破損し、さらに再建、昭和七年(一九三二)それを改築した。しかしながら昭和二十年(一九四五)七月、太平洋戦争末期、アメリカ空軍の焼夷弾の直撃を受け全焼、昭和四十年(一九六五)十月、現在の社殿を新築した。
 祭神は、足仲彦命・誉田別命・気長足姫命である。八幡神社の名から、主座は応神天皇(誉田別命)、そして、それにかかわりのあるものである。
 八幡神社の所在地を神社森という。西ノ谷入口の高台で、明治時代、渋草尋常小学校も建てられ、近くに常小屋(芝居小屋)もあり、演劇・田舎相撲なども興行された場所、そして、大正時代の一時期、小学校舎に、役場も移転され、なお、昭和時代、寺(薬師寺)さえも、仮住居した場所である。
 杣川村青年学校・上浮穴高等学校面河分校・面河中学校なども、この神社森が発祥の地であり、こうした人々にとっても、思い出深い森である。
 なお、この八幡神社は、明治時代土泥の八幡宮を合祀している。(年代不詳)