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面河村誌

二 面河の短歌

  東海の小島の磯の白砂に
    我れ泣きぬれて蟹とたわむる
 石川啄木(一八八五~一九一二)の歌である。啄木は独特の口語の発想による深く生活に即した、いわゆる「啄木調」を創出した、明治時代の歌人である。(山川出版社、日本史小辞典より引用)
  生きている今日の証と
  わが詠める
  歌は常臥し
  手鏡の歌  
 伊藤憲次郎は、笠方梅ヶ市、相名峠から流れる妙谷川のほとり、庭に桜の古木、ひっそりとした一軒家、ここでの療養生活十有余年
   方形の窓の内なる
   わが一生
   終身刑のごとく
   病みおり
 このほど出版された彼の歌集「終身刑の如く」は、彼が身を横たえつつ詠んだ短歌一六三首が収められている。遠く兵庫県三木市の歌友、井本由一の友情出版である。彼もまた四年前から、ずっと闘病生活、最近は声までも失い床についたままとか、二人はまだ一度も会ったことがない。
   井本氏のお気持ちの底には、この世に生を受けながら、生涯を病臥の裡に死んでゆく私の身の上を哀れに思はれて、拙いながらも生きて来た証としての歌の一部でも残してやらうとの深い思ひやりに他ならないと思います。…………
   並びに永年にわたり日夜私を扶養して下さった義母に対してかぎりない感謝を捧げます。
 これが、この歌集「終身刑の如く」の後記で述べている、伊藤憲次郎の言葉である。
  ある時期は癒えむ希ひのせつなくて泣かせし母もすでに世に無き
  わが村の歴史は深くしらねども木地師の拓きし石鎚の郷
  つく鐘の韻は岩に返りゐてさくら花散る岩屋寺なりき
  そのかみの道も廃るときく故に彼の峠なる石仏は如何
  病み古りて生きゆく今日の現にて笹百合は朱き花紛をこぼす
     仰臥随想          伊藤憲次郎
  終の日の近づく我に役場より取り付けられし非常べルはや
  日雇の義母の帰るを足萎えて床に待つ日の永くなりけり