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面河村誌

三 相名峠哀歌

    相名の峠や 人どうや
    源五郎恋しや オモノ木や
 これは今も梅ヶ市に残る悲しき歌である。 相名峠は、石鎚連峯の堂ヶ森と清滝山のほぼ中間、割石峠は松山方面へ、相名峠は周桑地方へ通ずる唯一の峠で、昔は往来が盛んであった。
 峠道に残る物語は、概して悲しいものが多い。その哀れさゆえに、人々の心にいつまでも語り継がれているのかも知れない。
   梅ヶ市は、相名峠の麓、妙谷川沿いのなだらかな斜面、その相名峠に近い一軒家、源五郎とその女房お吉、そして一人の男の子、山を開いて、ほそぼその百姓ながら、幸福そうな一家であった。
   うららかな春の日、女房のお吉は、子供を連れて、相名峠近くの山の畑仕事に出かけた。夕方になっても帰って来ないので、源五郎は火縄銃を担いで、二人を探しに、山畑に出かけた。しかし、いくら探しても、母子の姿は見えない。すると春の日の暮れようとする峠近く、大きなオモノ木(ぶな)を背にして、こわごわ、おびえ立つ我が子、それを取り巻く山犬二、三頭まさに食い殺されようとしている。やにわに源五郎の銃声一発、山犬は逃げ去り、無事子供は助けたけれど、女房の姿は、いくら探せど見当らない。源五郎とその子は、来る日も、来る日も探しながら、その帰りを待ったが、とうとうお吉は帰って来なかった。
 女房を失い、母を失った哀れな源五郎とその子、どこをどうさまよい果てたか。とうとう帰れなかった女房のお吉もまた哀れである。その可憐なお吉が、夫を思い、子を思う心の切なさを、梅ヶ市のだれかが「相名峠や人どうや、源五郎恋しやオモノ木や」と歌ったと伝えられている。
 今は人通りも余りない相名峠、さまざまな物語を秘めた相名峠、そのなかでも源五郎とお吉の物語は、身につまされる哀歌である。