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面河村誌

四 万才小唄

 上浮穴郡に万才が伝わってきたのは、明治時代の初期、松山近郊に万才が始まってしばらくしてからといわれる。
 松山藩主久松勝成が松山へ転封(文化六年・一八〇九)の際、三河国から喜八という万才大夫を伴って来て、温泉郡道後溝辺村の人々に教えたのが「溝辺万才」、これが伊予万才の発祥であると伝えられている。
 やがてこの万才が、弘形村(美川村)大川集落 冬峰村(久万町)父野川、そして仕七川村(美川村)嵯峨山で、嵯峨山万才が誕生、当村では、かつて大成、若山が合同又は別々に一座を組み、それが今の面河万才のルーツである。
 鳴物は三味線・小太鼓・拍子木・踊り子六、七名、そしてその中心的役者は、次郎松・才蔵である。特に次郎松は一座の道化役で、その身ぶりや口上が、こっけい、しかもたぶんにエロチック、風貌からして、その道の千両役者、遠藤源十郎(相ノ木・昭和四十七年死亡)は、本村最後の次郎松役であった。
 次郎松・才蔵の掛合は、三河万才の亜流であるが、小唄・踊りは、たぶんに伊予万才独特のものである。歌詞にしても関西から中国(備前・安芸)、四国地方の物語りを取り入れたものであり、踊り子はすべて男子縞の着物の着流し、ただ一人の女形は、頭から黒のベールを下げて色物の帯、衣装にちょっぴり女らしさを現していた。
 今の万才といえば、万才即数え唄踊りであるが、万才そのものは、次郎松・才蔵の軽妙な掛合である。踊りは万才の中の小唄踊り、しかも素ぼくそのもので、近時の松山近郊の万才のようにぎょうぎょうしい衣装で早変わりするなどは、近代風にアレンジしたもので、見る目には美しいかも知れないが、万才小唄踊りの本来の姿ではない。
 軽快な三味線の撥さばき・太鼓の音、あるいは高く、低く、また緩やかに、そして急激なリズムの「ぞめき」の調べ、その調子に乗せて才蔵舞打込みの浮々した足さばき、小唄踊りの粋ともいえる。
 伊予万才本来の姿は、あくまでも素ぼくな土臭い百姓のもの、その万才小唄踊りを郷土芸能として伝承するとすれば、いたずらに華美に走ることなく、衣装も踊りも、かつまた舞台装置も、昔のままでありたい。きらびやかな衣装、はでな振付けで踊ることは、伝来の古典万才としては邪道である。
 しかし、今、次郎松・才蔵の掛合万才を復活させることは絶望に近い。小唄踊りの三味線・太鼓、踊りについては、細々ながらその芸を守り続けている。三味線・太鼓の遠藤昇(相ノ木)、菅野道信(若山)、踊りの菅作見らである。
 かつて万才華やかなりしころ、三味線の名人といわれたのは中川岩吉(若山・明治四十三年死亡)、それに続く八幡平五郎(大成・昭和十四年死亡)、遠藤太次馬(相ノ木)、太鼓の名手は、中川福太郎(大成・昭和十八年死亡)、彼らは万才音曲の司とも称すべき人々である。
 万才は、今はやりの言葉でいえば、サブ=カルチュアー(周辺文化)、芸術に対して民芸文化、終戦(太平洋戦争)後三十余年を経て、民族固有の文化に目を開こうという、このころの風潮、なんとかして面河村伝来の万才をいついつまでもはぐくみたいものである。
 ここに万才小唄踊りの歌詞をいくつか記し残したい。
  ◎才蔵舞   
   徳若にや ご万才は   
   三坂にかかる白雪は   
   とりて流れて 重信の 
   御手洗女郎の化粧の水 
   まことに目出度う 
   候いけれど                          
   徳若にや ご万才は
   伊予の松山 名物名所   
   新立ぐちの 堀端の   
   八ツ股榎が これ名所 
   まことに目出度う    
   候いけれど     
   徳若にや ご万才は   
   正月吉日の 初夢に          
   めでたい年の夢を見た         
   門に門松 しめ飾り  
   祝の松のその下で           
   鶴と亀とが 舞いあそぶ        
   まことにめでたう  
   候いけれど    
   (主として柱そろえの才蔵舞)
   徳若にや ご万才は  
   とりの正月 吉日に  
   おろかな才蔵が思いつき 
   十二の干支をつくり初め  
   まことに目出度う  
   候いけれど   
   (主として豊年踊りの才蔵舞)    
  ◎柱揃え   
   一本の柱には   
   「一天が世界じゃ」
   おさなる御代のしるしぞと       
   二本の柱には             
   「にっこり笑たら大黒さん」 
   若えびす               
   三本の柱には              
   「左近が右近じゃ」
   花たちばなの しるしかな
   四本の柱には
   獅子が舞い込んだ 
   内の悪魔をおいはらう
   五本の柱には
   「御用 申します」
   五葉の松
   六本の柱には
   「六つ拍子そろえて」   
   そろえ建つ
   七本の柱には
   「七福神とせ」
   うちに七福 七えびす
   八の柱には
   「八つ棟造りは」
   桧皮葺
   九本の柱には
   「くようは さかづきじゃ」
   すすめられ
   十本の柱には
   「寿じゃ 福寿じゃ」
   おたふくじゃ
   百本の柱には
   「お前百まで」
   わしゃ 九十九まで
   共に白髪の 生えるまで
   千本の住には
   「千秋万才楽」
   思う事 かなうた
   末は 鶴亀 五葉の松
   まことに目出度う候いけれど
  ◎豊年踊
   子とさえのさえのさ
   年内 夫婦は 睦まじく
   「又、仲ように」
   暮すのが 福の神
   やれ豊年かいな
   「ちょいと又 豊年じゃ」
   丑とさえのさえのさ
   うんつく者とは云うけれど
   「又、稼ぐのに」
   おいつく 貧乏なし
   やれ 豊年かいな
   「ちょいと又 豊年じゃ」
   寅とさえのさえのさ
   隣に宝を招かんと
   「又、我が家に」
   宝を招かんせ
   やれ豊年かいな
   「ちょいと又 豊年じゃ」
   卯とさえのさえのさ
   うすらは浮世で暮せども
   「又、十七」
   八から 二十まで
   やれ豊年かいな
   「ちょいと又 豊年じゃ」
   辰とさえのさえのさ
   やれたつそりゃたつ今もたつ
   「又、伊勢宮の」
   河原に市が立つ
   やれ豊年かいな
   「ちょいと又 豊年じゃ」
   巳とさえのさえのさ
   皆さん寄いての夜話に
   「又、これからは」
   だんだん 米さかる
   やれ豊年かいな
   「ちょいと又 豊年じゃ」
   午とさえのさえのさ
   うまい世時になりました
   「又、道みちの」
   小草に米がなる
   やれ豊年かいな
   「ちょいと又 豊年じゃ」
   未とさえのさえのさ
   羊の難どき油断なく
   「又、その気で」
   心をたしかに持たしゃんせ
   やれ豊年かいな
   「ちょいと又 豊年じゃ」
   申とさえのさえのさ
   猿さえ親には孝行する
   「又、男の」
   子なら持たしゃんせ
   「ちょいと又 豊年じゃ」
   酉とさえのさえのさ
   やれとるそりゃとる今もとる
   「又、伊勢宮の」
   河原で垢離を取る
   やれ豊年かいな
   「ちょいと又 豊年じゃ」
   戌とさえのさえのさ
   いにくいところに奉公して
   「又、つとめりゃあ」
   その身のためとなる
   やれ豊年かいな
   「ちょいと又 豊年じゃ」  
   亥とさえのさえのさ
   いよいよ五殼が成就して
   「又、これから」
   世の中 ゆたかなる
   やれ豊年かいな
   「ちょいと又 豊年じゃ」
  ◎義経千本桜 (才蔵舞)
   徳若にや ご万才は
   千本桜と云う山で
   義経公が大将で
   屋島の浦の舟戦
   安徳天皇うばい取り
   再び源氏の世の中よ
   まことに目出度う候いけれど
   一つとおつといさ 一とつとおいさ
   人はよ士木は桧
   千本桜と云い伝え
   迷いのやすきは恋の道
    義経さんかいな
   二つとおいさ 二つとおいさ
    夫婦の仲はにこにこと
   戦の門出のお杯
    早や凱旋と待ちうける
    うれしいわいな
   三つとおいさ 三つとおいさ
    見初め逢い初め思い初め
    かほど勇者の御大将
    我か君様をば助けんと
    どうしようかいな
   四つとおいさ 四つおいさ
    義経公が大将で
    屋島の浦の舟戦
    平家がめいめい討死を
    痛そうかいな
   五つとおいさ 五つとおいさ
    いかによ御恩のせつなさに
    藤の局のものあんじ
    天皇様にもう一度
    花咲かせたいわいな
   六つおいさ 六つとおいさ
    むりになでつけさすりつけ
    娘がつける愛の寿司
    風味かようて味合いが
    よかろうかいな
   七つおいさ 七つとおいさ
    たんとまあきれいなよい殿御
    寿司屋のお里がほれらりょか
    子は親さまえの義理もある
    はずかしいわいな
   八つおいさ 八つとおいさ
    やさしき女中の寝入りばな
    見れば 枕が二つある
    都のことも吾かことも
    しのぼうかいな
   九つとおさ 九つとおさ
    雲井に近き御方の
    惟盛様とはつゆ知らず
    思いこんだが恋の道
    どうしようかいな
   十とおいさ 十とおいさ
    とうとう源氏の梶原が
    権太にほうびの陣羽織
    惟盛さまにもう一度
    花咲かせたいわな
  ◎おはん長衛
   やれ 一つとせ
    一番名高い京の町
    おはんははるばる伊勢参り
    この笑い草
   やれ 二つとせ
    二人が出会す坂の下
    お前は帯屋の長衛さん
    この笑い草
   やれ 三つとせ
    見れば信濃屋のおはんかと
    よい道すれじゃとお手をとる
    この笑い草
   やれ 四つとせ
    宵の泊りは市兵衛屋
    勾欄越えての奥座敷
    この笑い草
   やれ 五つとせ
    色の始めに思いそめ
    ぱらりと咲いたる梅の花
    この笑い草
   やれ 六つとせ
    無理に帰えすか早京都
    とら石町では西側の
    この笑い草
   やれ 七つとせ
    名主は帯屋の長衛さん
    軒を並べて信濃屋へ
    この笑い草
   やれ 八つとせ
    やりたいおはんの留守のまに
    油屋の幸次といれまぜて
    この笑い草
   やれ 九つとせ
    この母さんはどうよくな
    これも因縁約束と
    この笑い草
   やれ 十とせ
    得心なされや長衛さん
    ほかなる殿御はわしじゃない
    この笑い草
  ◎宮島心中 (才蔵舞)
   徳若にや ご万才は
   一日宮島大騒ぎ
   心中したとの大騒ぎ
   芸子舞子のはてまでも
   心中したげな徳兵衛さん
   心中したげなお初さん
   それよいけれど万才は
   まことに目出度う候いけれど
   一つとさえの  一つとおさ
    人に知られし宮島の
    器量よし自慢のお初さん
    通いつめたが徳兵衛さん
    このうれしいわいな
   二つとさえの 二つとおさ
    文でよ知らして忍び逢う
    出合わす所は思案橋
    心もあせるお初さん
    この話そうかいな
   三つとさえの 三つとおさ
    宮島育ちのお初さん
    連れて波ろうや二十日市
    たとえ宮島立つとても
    この別れぬわいな
   四つとさえの 四つとおさ
    四方山因果なわしの身を
    まま母育ちのその中で
    見つけられたる腹帯を
    どうしようかいな
   五つとさえの 五つとさ
    いろいろ機嫌もとりのやま
    大元様にも願かけて
    親の返事を待つはらで
    この待ちやうかいな
   六つとさえの 六つとさ
    無性矢鱈に親たちが
    二人のよい仲ひき分けようと
    たとえ宮島立つとても
    この別れぬわいな
   七つとさえの 七つとおさ
    泣く泣くお初は東町
    長屋の門で物案じ
    泣いて暮すのは浜千鳥
    この痛そうかいな
   八つとさえの 八つとおさ
    刃を無情の友として
    死ぬる覚悟の装束は
    恋にえらんだ白綸子
    この揃えようかいな
   九つとさえの 九つとおさ
    この年月まで育てられ
    親に御恩も送らずに
    親にさきだつ不孝者
    このどうしようかいな
   十とさえの 十とおさ
    とうとう来たかや徳兵衛さん
    死ぬる所はここかいな
    綾や錦で身を飾る
    この行きたいわいな
   ◎謎づくし
   一 広い世界を謎にかけ
     知恵あるお方がお揃いで
     かけて解くのが面白い
   二 二階の御馳走とかけまして
     風船あがりと解くわいな
     くうきであがるじゃないかいな
   三 三つ子の夜這とかけまして
     石童丸と解くわいな
     ちちを探すじゃないかいな
   四 よもない車とかけまして
     いざり勝五郎と解くわいな
     ひきてに困るじゃないかいな
   五 いがんだ材木とかけまして
     郵便さんと解くわいな
     はしらにゃならんじゃないかいな
   六 無理な姑とかけまして
     西洋文字と解くわいな
     よめにくいじゃないかいな
   七 夏の夕立とかけまして
     金の鈴がらと解くわいな
     ふるなるひかるじゃないかいな
   八 破れた障子とかけまして
     冬の鶯と解くわいな
     はるを待つではないかいな
   九 紺屋の娘とかけまして
     上手な将棋と解くわいな
     つめてが黒いじゃないかいな
   十 豆腐屋の嫁とかけまして
     日清戦争と解くわいな
     からを攻めるじゃないかいな
   ◎溝辺騒動
   一つとさえの 一つといさ
    一つは伊予の松山の
    溝辺芝居の大騒動
    このさわがしいかいな
   二つとさえの 二つといさ
    二人の兄弟亀三郎
    手負となりて逃げかくれ
    このさおごうかいな
   三つとさえの 三つといさ
    見に来たお方は幾百人
    武士をめがけて石打ちに
    この痛そうかいな
   四つとさえの 四つといさ
    ようようその場を逃げかくれ
    加勢をたのむとわが宅へ
    この帰ろうかいな
   五つとさえの 五つといさ
    石手寺さまにと走りこみ
    法正さまへと命ごい
    この頼まうかいな
   六つとさえの 六つといさ
    無理な仕置じゃおんかみに
    渡す心のせつなさよ
    このつらからうかいな
   七つとさえの 七つといさ
    良き未来のはてまでも
    いとしかわいい亀さんと
    この別れぬわいな
   八つとさえの 八つといさ
    約束ごととは云いながら
    無理な仕置じゃおんかみに
    この渡そうかいな
   九つとさえの 九つといさ
    これほどいとしい亀さんと
    別れる時のせつなさよ
    このどうしようかいな
   十とさえの 十といさ
    とうとう亀さんもおんかみに
    渡すその日の身のつらさ
    このどうしようかいな
   ◎高知心中
   一つかえ まだ一つかえ
    一つこのたび高知県
    吾川郡での人殺し
    この哀れさよな
   二つかえ まだ二つかえ
    ふた親許さぬ身のきすい
    お勝と虎次は深い仲
    この哀れさよな
   三つかえ まだ三つかえ
    見るに見かねてふた親が
    虎次とお勝に意見する
    この哀れさよな
   四つかえ まだ四つかえ
    四つの歳よりもらい受け
    育てあげたるこの娘
    この哀れさよな
   五つかえ まだ五つかえ
    意見は無理とは思えども
    虎次とお勝にいいきかせ
    この哀れさよな
   六つかえ まだ六つかえ
    無念なからも山崎が
    わが家に帰りて血の涙
    この哀れさよな
   七つかえ まだ七つかえ
    なんぽ貧苦に暮すとも
    恋に上下のへだてない
    この哀れさよな
   八つかえ まだ八つかえ
    やがてお勝に云いきかせ
    意見は無理とは思えども
    この哀れさよな
   九つかえ まだ九つかえ
    こうなるからにはわしじゃとて
    死ぬりゃもろとも二人づれ
    この哀れさよな
   十かえ まだ十かえ
    としにもあわぬ山崎が
    わが家に帰り血の涙
    この哀れさよな
追記 万才小唄は、おもだったものを記した。ところにより、また、句はまちまちの箇所があるが、この地で歌われていたものと思われるものを記した。
   なお、囃子言葉・相ノ手は、省略したものがある。