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面河村誌

(四) 雨 具

 藩政時代は、身分の低い者は、唐傘は使えなかったといわれる。明治時代になってから、番傘・蛇の目傘が出回った。唐傘は子供から男子、蛇の目傘は主に女性用であった。
 明治時代に、蝙蝠傘(洋傘)が渡来して、一般に普及した。男性用は主として黒地、女性用は、色とりどりの模様、その柄も、太・細・長・短と時により流行を生んだ。最近は、ビニール張りのカラフルな洋傘が流行し、番傘・蛇の目傘は、一般用としては、ほとんど姿を消した。
 一方、幕末のころから、ポルトガル人の外套から取り入れた合羽が使われた。桐油・和紙を材料として作られたものである。
 男女とも洋装の普及につれて、レインコートが用いられた。特に最近の女性用レインコートは、シースルーのナイロン製で、雨の日もファッショナブルに、つまり、いまや婦人のレインコートは、雨を防ぐためのカバーでもなく、下に着ているものを包み隠す上っ張りでもなく、いわば「雨降り謳歌」、雨に親しむための一種のおもちゃのような存在ともいえる。
 農民の仕事用の雨具は、蓑・菅笠である。菅(当地に自生、夏その葉を取って乾燥する)を材料とした手編みで、蓑には、大蓑・背蓑(小蓑)があり、背蓑は、女子に「日よけ」として使われた。
 しかしながら、昭和三十年ごろから、ゴム・ナイロン・ビニール製品などの雨具が出回り、昔ながらの蓑・笠は、全く姿を消し、今では、民芸品として、面河観光センターなどに展示されている。