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面河村誌

第四章 面河村の広報紙

 江戸時代の「高札」は、法度(はっと)、掟書(おきてがき)などを記し、人目をひく場所に高く掲げた板札(立札)であり、これは幕府藩主の一つの広報手段であった。
 この高札は本村では、享保年間(一七二〇年代)杣野・大味川村の各一か所(場所不明)に、御高札「切支丹御札」が建っていた記録がある。これは、キリスト教法度の御触(ふれ)であると推定できる。
 明治二十三年杣川村役場が設置され、やがてこれが「掲示板」に変わり、もろもろの事がらが公示されるようになった。
 その後昭和三十三年五月二十日、広報「おもご」(B版2型)の創刊号が、教育委員会の編集で発刊された。
 この広報も、昭和三十六年一月号をもって、経費と利用状況の都合で、休刊となった。
 昭和四十九年一月(村長中川鬼子太郎)村報「おもご」(B4判)が、謄写版刷りで復刊、同五十年七月広報「おもご」(B4判)が、教育委員会主宰、面河村広報委員会が年六回定期的に発行され、現在に至っている。