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面河村誌

第三章 広報放送施設

 有線放送は全国各所で、役場農業協同組合・公民館を中心に、普及している。特に農山村地域では、重要なる広報手段である。
 昭和三十二年大味川本組部落は、部落単独で当時の城山小学校に放送施設を設け、城山小学校合併後、旧校舎を城山公民館に転用、これに伴い公民館活動として、放送施設を充実整備した。(工費約一五万円)
 渋草部落も同様、昭和三十三年三月農業協同組合に有線放送施設を設置した。
 これらと相前後して、川ノ子部落も工費約四万円を投じて、独自の放送を開始した。
 昭和三十九年、相ノ峰部落は、相ノ峰公民館建築と同時に、工費約一五万五〇〇〇円で、公民館に、放送施設を設置している。
 面河村においても、昭和四十五年以降、役場からの緊急伝達・農業協同組合からの連絡・部落内の行事・小・中学校からの通達・並びに災害の通報などは、部落の有線放送を通じて、一般に即刻伝達されるようになった。
 しかし、これらの放送施設も、昭和四十五年(村長青木定市)面河村一元の、農事放送施設に統合された。
 昭和四十四年(一九一一)、振興山村農林漁業特別開発事業(第一次)として、農事放送施設が、面河村農業協同組合を事業主体として、昭和四十五年に完成した。
 総事業費六三六万五〇〇〇円(国庫補助三一八万二〇〇〇円、村負担一五九万一〇〇〇円、農協並びに受益者負担一五九万二〇〇〇円)。
 施工個所杣野二か所(渋草(農協)、相ノ峰(公民館))、大味川五か所(本組(公民館)、中組(公民館)、川ノ子(日野晴見)、相ノ木(集会所)、若山(菅英郎))、事業量五八五戸、二〇六一人に利用されたが前組・笠方大成地域は放送エリアに参加できず、村内一元化比率七〇%である。
 PV線二万二七〇〇メートル、トランペットスピーカー二七、メインアンプ(ロッカー型五〇〇W)一台は、面河村農業協同組合事務所に置かれ、もう一台(デスク型・一二〇W)は城山公民館に設置された。
 これにより、伝違事項が確実かつ迅速に、しかも、話し言葉で伝えられるので理解されやすいこと、火災など緊急を要す情報が速やかとなり、対策が早急にでき、犯罪防止などに役だつこと、農産物集荷・出荷、また、農林作業の指導連絡が迅速になったこと、学校と父兄との連絡事項の強化ができること、など生活上有効な影響を与えた。
 しかし、この有線放送施設も、暴風雨・大雪などのとき、送信線が被害に遭い、緊急連絡が不可能になることもあった。
 そのため、村当局は面河村役場をキーステーションとし、村内一〇か所にサブステーションを設ける無線放送施設設置計画について、県当局並びに関係方面に強力な働きかけをした。
    同報無線局の開設についての要望書
               昭和五三年九月二九日
   四国電波監理局長殿
            愛媛県上浮穴郡面河村
            面河村長 中川鬼子太郎
  当村は、愛媛県上浮穴郡の山間部に位置し、景勝面河渓を村内に包含し農林業を主産業とする農村であります。
  当村は、村民を対象とした地方行政事務を円滑かつ迅速に遂行するための一端として、広報活動を重視しまた活発にこれを行い、主要産業の基盤拡充・生活環境の改善・住民の福祉の向上等については特に留意した行政を心がけております。
  このため、昭和四四年度に農林省構造改善事業の補助を受けて、有線放送装置を施設しましたが、広大な山間部の当村内全域を網らするためには、有線の総延長は膨大であり、しかも集落から集落への連絡のために急しゅんな山岳部での工事がそのほとんどを占めております。しかしながら、この有線施設は災害発生(特に集中豪雨時の崖崩れ等)の都度断線事故を併発して、緊急時における運用に支障を来たすばかりでなく、復旧までの期間とその費用の問題等から広報活動は、当初計画の大幅な変更を余儀なくされている現状にあります。また、広報用自動車での村内の巡回、広報紙の発行等による広報は、地理的条件、迅速性に欠ける等、種々の制約を受けるため広報活動の効果を発揮することができません。
  この解決のため、広報の周知徹底を図り、村内行事の通報を円滑に行い、災害時においても的確な通報を迅速に行う等、行政上の立体的連絡手段を種々検討した結果、同報用無線電話装置によるより他はないと判断し、今回その設置を計画した次第であります。
  なお、計画の概要は次のとおりであります。
  面河村役場内に同報用固定局を設置し、村内一斉および随時集落を選択して役場より情報を通報し、それぞれの集落に設置する受信機を通じて、附近の住民に対し拡声器によって伝達する方法を骨子としております。受信箇所は集落地区および観光地など村内で二三~三〇箇所を予定(音響試験によって決める)しておりますが、この予定地においては電波伝播試験を行い、実用上全く問題のない電界が得られることは既に確認しております。なお地区事情により一部有線を延長する部落が数箇所(三~五)ある他、特に山間部の民家が離散しているところについては、数台の個別受信機を併用することを検討しております。
  以上の事情でありますので、当面河村の同報用無線局の開設は是非とも必要でありますので、宜敷くお取り計らい下さるようお願いする次第であります。
 その努力の結果、二か年継続事業で昭和五十三年十二月二十八日に着工の運びとなり、総工費三七三〇万円の経費を投じ、同五十四年八月八日完成し放送を開始した。
 これにより、村内全域に各種の伝達、緊急放送がいっせいに行われることとなった。また、地区の要請によっては該当地区のみの放送も可能となった。
 この放送施設を利用して、朝のラジオ体操・六時・十二時・十七時の三回チャイム放送・朝七時・昼十二時定時放送を実施している。