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面河村誌

二 養 鳥

 面河では、北海道産の高麗雉と日本雉を中心に養鳥が行われている。昭和四十六年、道後の観光旅館尨部委託という形で始まった。当初は、一一人の組合員でスタートしたが、飼育法の困難さから死亡率が高く、経営は赤字となり、昭和五十年には、組合員二人が残るだけとなった。    
 この委託飼育方式というのは、松山市平井孵化場で孵化し、さらに餌付けした雛を面河にもって帰り、約四か月飼育して旅館に引き取ってもらい飼育料を受け取るというものである。だいたい雉は三月末から六月にかけて産卵する が、それを五度Cから一〇度Cで保管しておき、一週間ごとまとめて孵卵場に送る。孵化には二四日から二五日かかり、孵化率は五〇%前後である。雛は一〇日間ほど三六度Cから三八度Cの保温のもとで飼い、だんだん外気温に近づけ、一か月たつと放鳥場へ出す。この雛の一か月間が養雉のポイントで、この飼い方を誤ると死亡するものが続出するという。
 放鳥場は、一メートル余りの高さに一面金網が張り巡らされ、太陽も雨も自然のままに降り注ぐようになっている。マスと呼ばれる部屋に仕切ってあり、雉の育成段階、状況に合わせてグループごとに飼われている。自然のままといっても、それぞれのマスに雨も陽光もさえぎれる避難場所も設けられている。密飼いや過保護的飼育は抵抗力をなくし死亡につながることが多く、市販の飼料以外に、野菜・いも類・とうもろこしなど各種混ぜてやっている。えさやりは、日に一回から三回で、産卵場の成鳥にはどうしても二回から三回やらねばならない。しかし、食べ残した飼料は発酵しやすいので、余らないように与えることがこつだという。これらの労働は、健康な婦人一人の専業に一〇〇〇羽がちょうどよいくらいであるという。
 このようにして飼育した雉は、料理用のほかに、はく製用に売られる。