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面河村誌

(一) 山菜五色煮

昭和四十一年六月一日、国民宿舎「面河」が完成した。これに先き立ち、当時の面河村長は「この国民宿舎で、どうしても面河でとれる山菜のつけものを出したい。なんとかやってくれんか。」と、地元有志に依頼した。これが、今日、面河唯一の特産物「山菜五色煮」誕生のきっかけとなった。そしてとりあえずふき・わらび・いたどりをとり、つけものを作った。しかし、国民宿舎へ出荷した残りができてしまった。これをなんとかして、さらによく売れる商品にすることができないだろうか。つくだ煮にはどうだろうかと考えたすえに、京都にいる人にたのみ、やっているつくだ煮製法に学びながら、小さいなべで何度も何度も炊いて研究を重ねてみた。塩づけにしたふき、乾燥したぜんまいとしいたけ、しょう油炊きしたさんしょうの実、さらに、こんぶのだしと砂糖・しょう油・味の素で煮込むと、これならという自信作ができた。これを、面河渓第一の景勝地「五色河原」にちなみ、「山菜五色煮」と命名し、昭和四十五年七月二十七日特許庁に届け出、商標を登録した。
 この年の年間売上げは、一五〇万円程度であったが、順次増し、生産が後れをとるようになった。そこで、昭和四十六年、一三八・六平方メートルの工場と貯蔵庫を新設した。工場には、まきを燃料とするかま三基、殺菌滅菌用の重油ボイラー一基、柏木式真空包装機一台を備えつけた。貯蔵庫にはコンクリートの塩づけタンク三基を備えた。さらに、婦人二人を常時雇い(採集時は増やす)、本格的な生産体制に入った。その後、岩壁に生育する地衣植物のいわたけを味付けした「味付岩茸」と、「味しいだけ」の二つのびん詰めを加え、三本セットの箱入りも販売するようになった。しかし、遠方からの観光客は荷物になるびん詰めを好まないところから袋入りの「山菜五色煮」、さらには、塩抜きにした「わらび水煮」を袋入りで出すようになった。
 こうして、山菜五色煮に代表される面河の農産加工物は、面河村内の観光旅設や、四国食品を通じて、松山市内のデパート、駅、道後の有名店などで売られ、面河の特産物として、多くの人に親しまれ、その名を知られるようになった。そして昭和四十九年には、年間の売り上げが一〇〇〇万円に達した。しかし、昭和五十年は、石鎚・面河渓の台風被害により、前年の実績を下回った。ここに、山菜五色煮も、観光産業、国民経済の動向を敏感に反映しているといえよう。