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面河村誌

一 耕地面積

 本郡各町村の田畑の耕地面積を昭和六年から数年おきに調べてみると、久万町では畑よりも水田の面積が広いが、他の町村ではいずれも畑の面積が広く、郡全体としては、畑の占める割合が大きい。次の表を見てもわかるように、本村においてもそのことがいえる。
 水田の場合、戦後の食糧増産時代から昭和四十五年にかけては米の余剰期を迎え、日本農業史にかつてなかった米の生産調整をするために、政府は昭和四十六年から補助金を出して減反政策を推し進めた。休耕田を作らせること、転作を奨励すること、水田の一部を畑に変えさせること、また、山田や谷田と呼ばれるものの大部分は植林化させることもあって面積は減少したのである。
 一方畑については、戦前に多く栽培されたとうもろこしと雑穀は、ほとんど見られなくなったことや、産業界の動向からくわ、みつまた、くり、茶などの畑に移行したことによってその面積は大きく減少したのである。
 昭和三十六年「農業基本法」が制定され、政府は農業構造改善事業に着手した。本郡でも久万町の明神・畑野川・直瀬の地区で実施された。しかし、経営規模の零細性・生産費の割高・農業所得の低迷・兼業農家の増加・労働力人口の流出等の問題が山積して、その解決は、一朝一タにはいかない。

水田耕地面積

水田耕地面積


畑耕地面積

畑耕地面積